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東京地方裁判所 昭和35年(刑わ)4091号 判決 1965年8月09日

被告人 北小路敏 外二二名

主文

被告人北小路敏を懲役一年六月、

被告人西部邁を懲役一年二月、

被告人加藤尚武を懲役一年、

被告人宮脇則夫を懲役一年、

被告人立川美彦を懲役十月、

被告人大瀬振を懲役十月、

被告人高橋昭八を懲役六月、

被告人有賀信勇を懲役八月、

被告人杉浦克己を懲役六月、

被告人坂野潤治を懲役十月、

被告人小倉征文を懲役十月、

被告人遠藤陸二を懲役十月、

被告人小川内明弘を懲役一年、

被告人藤本正雄を懲役十月、

被告人広川晴史を懲役六月、

被告人加藤昇を懲役一年二月、

被告人宮崎武司を懲役八月、

被告人吉田稔を懲役六月、

被告人裴丁鎬を懲役十月、

被告人呉渡竜を懲役一年、

被告人常木守を懲役八月、

被告人篠田邦雄を懲役一年、

被告人佐々木祥氏を懲役十月、

に処する。

ただし、この裁判確定の日から、被告人北小路敏、同西部邁、同宮脇則夫、同立川美彦、同遠藤陸二、同加藤昇、同呉渡竜に対しては各三年間、その余の被告人らに対しては各二年間、右各刑の執行をいずれも猶予する。

理由

第一総論

(六・一五事件の背景と事件発生に至るまでの経過)

一  六・一五事件に至るまでの全学連安保阻止闘争の概略

昭和三十二年二月に成立した岸信介を首相とする自由民主党内閣は、昭和二十六年九月八日サンフランシスコにおいて締結されたいわゆるサンフランシスコ平和条約と同時に署名され、昭和二十七年四月二十八日をもつて発効したわが国とアメリカ合衆国との間の安全保障条約(以下旧安保または安保という)の改定に積極的に乗り出し、昭和三十三年六月の岸、アイゼンハワー会談以来安保改定に関する日米両国間の交渉が次第に活発となつたところ、全日本学生自治会総連合(以下全学連という)は、右のような安保改定はアメリカ合衆国との共同防衛体制のもとで、第一に日本と全アジアの労働者、人民に対する暴力手段を強め、第二に自由世界における一流列強の資格を目指すに足る国際法的関係によつて対外進出への威信を回復し、第三に対米経済関係をも新しく調整することにより、世界的なブロツク化傾向に対応した日米経済協力を推進することにその狙いがあるものと判断し、その実現はあくまでこれを阻止しなければならないとする立場をとつた。

そこで全学連は、昭和三十四年三月発足した安保改定阻止国民会議の幹事団体である青年学生共闘会議の構成員として右国民会議に参加し、同会議主催のもとに行われた同年六月二十五日の安保阻止第三次統一行動、同年十一月二十七日の安保阻止第八次統一行動等に加つて安保阻止請願デモを行つてきたが、当面の闘争の目標は、安保調印のための岸全権団の渡米阻止にありとして、昭和三十五年一月十六日、羽田国際空港において、岸全権団渡米阻止を目的とする抗議集会デモを行い、全学連幹部多数が逮捕されるに至つた。

右のような安保改定阻止運動が行われたのにもかかわらず、旧安保を改定した日本国とアメリカ合衆国との間の相互協力および安全保障条約(以下新安保または安保という)は、同月十九日ワシントンにおいて、日米全権団により調印されるに至り、次いで、国会において第三十四回通常国会に提出されたうえ、衆議院安保特別委員会の審議に付せられたが、国会の会期は同年五月二十六日までとなつていたので、参議院の議決を経ないで三十日を経過した場合のいわゆる自然成立のためには、会期の延長がない限り、同年四月二十六日までに衆議院において議決されることを要したから、同日までに議決されることが予測されるひつ迫した情勢にあつたところ、折から、韓国では李承晩政権に対する学生の暴動デモが各地で蜂起、拡大し、成功しつつあつた勢いであつたので、右韓国の学生デモに刺激され、志気を高揚されたこともあつて、全学連としては、国民会議がこれまでとつてきた秩序ある合法的な「お焼香請願デモ」方式による戦術にはあきたらず、安保を粉砕するためには、より実力的な国会デモを展開する必要があるものとし、国民会議とは別個に全学連独自の闘争方針を打ち立て、同年四月二十六日国会正門前で激しい請願デモを行つて武装警察官と衝突し、指導者らが逮捕されたが、同日の全学連国会デモは規律違反として前記青年学生共闘会議から除名されそうになつたこともあつた。

一方、国会においては、同年五月十三日公聴会が始まり、十六日で終つたが、同月十五日招集された全学連第二十四回中央委員会が五月二十日の闘争を決定し、会期の大幅延長阻止のため闘うことを決議したその虚をつき、同月十九日深夜から翌二十日未明にかけて、衆議院では五十日の会期延長と新安保条約案の一括可決承認の単独採決を行つた。右のような強行採決は、議会主義の原理を無視し、民主主義を危機におちいらしめるものとして、一般市民、文化人、労働者等により激しく非難攻撃され、抗議デモの様相はこれまでと一変してしまつたが、全学連は、そのなかにあつて、さん下学生団体を動員して全国的な授業放棄で学生を街頭にくり出し、「安保阻止」「岸内閣打倒」「国会解散」のスローガンを掲げて、国会周辺、首相官邸、外相官邸、自由民主党本部等に対し、連日連夜、激しい「ジグザグデモ」「すわり込み」等の実力的抗議デモを敢行し、その安保阻止闘争はさらに新段階を迎え、六月四日の統一行動ゼネストにまで高揚していつた。

そのような激しく動揺する政治情勢下にあつて、岸内閣は、総辞職も国会解散も行わず、アイゼンハワー大統領を日米修好百年祭記念として新安保の自然承認が見込れた六月十九日に招待することを発表し、その歓迎準備のための政治休戦を打ち出し始めたが、このため、政治的空白のなかで、安保問題がうやむやのうちに葬り去られようとする危険が生じたので、全学連は、六月十日羽田国際空港において、同大統領新聞係秘書ハガチーを取り囲み、米国大統領の訪日反対のデモを行つたところ、右ハガチー事件は、国際的にも国内的にも意外な反響を呼び、安保闘争は、反米闘争問題にすりかえられ、はぐらかされたうえ、参議院の単独採決が強行採決されるおそれのあつた六日十五日の第十八次統一行動は、その焦点を六月十九日にむきかえられてしまつた。

そこで、第十八次統一行動は、六・四ゼネストを下廻る低調なものに後退し、かつ、安保阻止闘争は、政治休戦、アイゼンハワー大統領の訪日により、いよいよ最終段階にきたものと情勢判断をした全学連は、新安保批准を阻止するためには、国会に対するより強力な、より大規模なデモを動員する以外には具体的に適切な方策がなく、場合によつては、国会突入をも辞さない方針を立て、そのさん下大学の自治会を通じて六月十五日のデモに参加するよう学生に呼びかけた。そうして、右のような全学連の動向は、終始、共産主義者同盟の思想的な影響を受け、その指導のもとに決定されていたものであつて、いわゆる全学連主流派として、全学連反主流派または代々木派といわれる一派と思想的に激しく対立し、安保阻止闘争の指導方針の設定にも両者の間に著るしい隔絶があたものである。

二  六・一五事件発生直前の状況

全学連の右のような呼びかけに応じた全学連所属の東京大学教養学部、中央大学、武蔵野美術学校等の各大学では、「ビラ」を配つたり、自治会委員会を開いたりなどの方法をもちいて、第十八次統一行動当日における国会デモをさらに学生に呼びかけた結果、昭和三十五年六月十五日午後二時前後ごろから、国会議事堂正門前付近道路上には、東京大学(本郷、駒場)、中央大学、法政大学、明治大学、東京工業大学、信州大学、早稲田大学等九十数校の学生が継続と集合し、各大学の集団ごとに道路上にすわり込んで、国際学連歌、インターなどを合唱した、「安保粉砕」などのシユプレヒコールをしたりなどして気勢を上げていたが、そのころ、被告人北小路は、全学連の宣伝カー一台(第八す四四六号)の上から「ここに結集した学生の総動員数は二万一千名に達した」と発表したのち、抗議のための総決起大会を開く旨を宜し、同車両上からマイクで同被告人および被告人西部があいさつを述べた。しかし、そのころから雨が強く降り始めたので、集会を打ち切つて、ただちにデモ行進にうつることになり、同日午後四時すぎごろ、被告人北小路の指示により、各大学自治会ごとに六列縦隊で十四の集団を作つたうえ、スクラムを組みながら、先頭から東京大学本郷、同駒場、中央大学、武蔵野美術学校ほか数校の混成、明治大学、法政大学等以下各校早稲田大学の集団を最後尾とした順序で、デモ行進を開始し、国会議事堂正門から、向つて右廻りに国会周辺を行進して二周し、同日午後五時ごろ、先頭の集団が衆議院南通用門(以下南通用門という)前付近まできたが、途中、激しい「だ」行進をくり返したり、第二通用門などに体当りをしたり、などをしながら行進したことや、また南通用門前付近道路上には、全学連主流派、労働者、一般市民のデモ隊の群衆がむらがり集つていたことのため、デモ行進は、同門前付近道路上で停滞してしまい、そのため、中央大学、明治大学の集団が先頭に出てきて、国会議事堂側に東京大学本郷、駒場、道路中央に中央大学、衆議院車庫側に明治大学が併列して縦隊に並び、そのあとに、多数の学生の隊列が続いて集結してしまつた。そうして、前記全学連の宣伝カーおよび被告人宮脇が乗つていた早稲田大学全学協の宣伝カー一台(第八す七四六五号)も正門の方から移動してその場にやつてきた。

三  国会議事堂構内における警備体制

国会議事堂は、東京都千代田区永田町二丁目十四番地に所在し、衆参両議院に分かれ、議事堂本館のほかに、それぞれ面会所、供待所等の付属建物、その他の工作物を併置し、ほぼ三角形の形状をした敷地内にあるが、その外周には、鉄管製外サクおよび諸門を設けて外部と明りよう、かつ、整然と区画され、議事堂正門、南通用門、通用門、西通用門、第一、第二通用門等の諸門を通じてのみ、外部との通行出入が可能な状況となつていた。

そうして、議事堂正面と中央玄関の中心とを結ぶ直線で両分される敷地および建物のうち、「み車寄せ」をのぞく南西側の部分(敷地一万九百六十八坪)は、衆議院議長の管理に属し、その余の東北側の部分は、参議院議長の管理に属するところ、諸門の通行出入に関する看守、取締り、建物、敷地内における秩序維持等の警備についても、右の所管に従つてそれぞれ実施されるが、通常の場合、国会閉会中にあつては各議院の衛視が、国会開会中にあつては衛視のほか、各議院の議長の要請に基き派出される約八十名内外の警察官が警備の実際を担当することとなつていた。そうして、国会議事堂構内に出入することを許されていたのは、国会議員のほか、各種記章の着用者その他に限られ、右以外の一般傍聴人、参観人、面会人、陳情者等は、所定の手続を経て、特定の門、出入口を通じて出入を許可されたもののほかは一般に自由に出入することができなかつた。

昭和三十五年六月十五日には、第十八次統一行動が行われるというので、国会周辺に対する激しいデモが予測されたため、デモ隊による国会不法侵入等の事態の発生を憂慮した衆参両議院にあつては、特別警備を実施することとし、国会法第百十五条の規定により、両院議長から六月十三日付書面をもつて内閣に対し警察官二千名の派出を要求し、六月十五日の当日には、さらに千五百名の増員要求をした。右要求を受けた内閣では、警視総監に対し警察官の派出を命じたので、命を受けた警視庁では、六月十三日、警備部長玉村四一のもとで第十八次統一行動当日における全般的な警備方針を立案し、翌十四日、警察大学講堂に関係者を招致して警備会議を開き、警視庁本部に警備総本部を設置して、右玉村四一が全般的な指揮をとり、国会周辺の警備に関しては、第一方面本部長藤沢三郎の総指揮のもとに、第五方面本部長伊藤秀宏が国会構内を、第七方面本部長岡村端が国会裏をそれぞれ警備することに決定した。

そこで、国会構内の警備を担当した第五方面本部長伊藤秀宏は、昭和三十五年六月十五日午前十時ごろ国会構内に到着し、指揮下の第五方面警察隊所属の滝野川大隊、板橋大隊、練馬大隊、池袋大隊、駒込大隊、赤羽大隊、第八方面警察隊所属の立川大隊、八王子大隊および機動隊、警察学校部隊の警察官合計二千四百七十六名を区処して諸門の警備に当らしめることとし、同日午前十一時を期して一せいに配置に就かしめた。

しかして、南通用門付近の警備には、大隊長高尾万次指揮の滝野川大隊(大隊長以下百五十四名)をもつて当らしめたが、南通用門付近の情勢がにわかに緊迫してきたので、順次人員を増加投入して同門付近の警備を強化し、同日午後十二時三十分ころには警察学校大隊第三中隊(中隊長堀井富士松以下百十六名)、午後四時十五分ごろには第四機動隊第二中隊(中隊長星清一以下九十五名)、午後五時三分すぎごろには第四機動隊第一中隊(中隊長若林新以下百二十二名、第三中隊第二小隊長平崎昌伍以下二十一名を含む)を増員し、またそのころ、構内を巡視していた第四機動隊第三中隊長戸沢藤作が門外の学生デモ隊の様子から事態のただならぬことを察知して休憩していた部下隊員十七、八名を呼び寄せ、同門の警備につかしめたので、同日午後五時三十分すぎごろの衆議院南通用門内側における警察部隊の警備配置状況は、別紙第一図で図示するように、おおむね、同門左右両側の外サクぞいと門衛所付近に、第一線として滝野川大隊第一中隊(中隊長岩瀬信雄以下六十二名)、第二中隊(中隊長信末吉造以下七十二名)、第四機動隊第一中隊第二小隊(小隊長本多茂失以下三十三名)、同中隊第三小隊(小隊長田部井豊吉以下三十三名)、その後方第二線として警察学校大隊第三中隊第三小隊(小隊長諸岡哲以下三十七名)、門衛所横に第四機動隊第三中隊(中隊長戸沢藤作、第一小隊長長谷川研治以下約十七、八名)、後記阻止車両の後ろに第四機動隊第一中隊第一小隊(小隊長大谷利一以下三十四名)、第二中隊第二小隊(小隊長畑井一夫以下三十三名)、第三線予備隊として警察学校大隊第三中隊第一小隊(小隊長中村秀雄以下三十九名)、第二小隊(小隊長平野孝雄以下三十六名)が配置につき、また、南通用門中央の大門と西側のわき門とは、当初のうちはあけてあつたが同日午後四時二十分ごろには大門を閉じて鉄製の「かんぬき」をかけたうえ、「かんぬき」の上下に角材二本を横に渡してそれぞれ針金で門扉に固く縛りつけ、その後間もなく、西側わき門も閉じ、大門からわき門にかけて角材一本を横に渡して、針金でわき門の門扉に固く縛りつけ、そのようにして南通用門が容易に開かないように門扉に補強工作を施し、さらにまた、いわゆる阻止車両線として、南通用門正面内側に、滝野川警察署借上げの「ほろ」付き大型貨物自動車一台(第一え二四一二号)のほか二台の自動車を外側に向け、大門のとびらに接着して併置し、たやすく南通用門から国会議事堂構内に入れないように設備した。

第二各論

(罪となるべき事実)

一  被告人北小路敏は、京都大学経済学部の学生で、全学連中央執行委員、京都府学生連合自治会委員長の職にあつたが、安保阻止闘争を通じて全学連の幹部多数が、つぎつぎと逮捕されたため、事実上、全学連執行委員長代理の職にあつたもの、

被告人西部邁は、東京大学教養学部の学生で、同学部自治会委員長、全学連中央執行委員の職にあつたもの、

被告人加藤尚武は、東京大学教養学部の学生で、東京都学生連合自治会執行委員の職にあつたもの、

被告人宮脇則失は、早稲田大学第二文学部の学生で、同大学全学協委員、東京都学生連合自治会執行委員の職にあつたもの、

被告人立川美彦は、東京大学法学部の学生で、東京都学生連合自治会執行委員の職にあつたもの、

被告人大瀬振は、東京大学大学院学生で、もと同大学自治会中央委員会委員、共産主義者同盟常任委員の職にあつたもの、

被告人高橋昭八は、昭和三十四年東京大学農学部を卒業後、共産主義者同盟北部地区委員長の職にあつたもの、

被告人有賀信男は、東京大学法学部学生で、もと同大学緑会委員長の職にあつたもの、

被告人杉浦克己は、東京大学経済学部の学生で、もと同大学教養学部自治会副委員長の職にあつたもの、

被告人坂野潤治は、東京大学教養学部の学生であつたもの、

被告人小倉征文は、中央大学法学部の学生で、同大学中央副執行委員長の職にあつたもの、

被告人遠藤陸二は、明治大学文学部の学生で、同大学学生会中央執行委員会事務次長の職にあつたもの、

被告人小川内明弘は、明治大学文学部の学生で、同学部自治会委員の職にあつたもの、

被告人藤本正雄は、法政大学法学部の学生で同学部自治会情宣部執行委員の職にあつたもの、

被告人広川晴史は、武蔵野美術学校の学生であつたもの、

被告人加藤昇は、早稲田大学第二政治経済学部の学生であつたが、昭和三十四年十二月同大学より除籍され、全学連副執行委員長の職にあつたもの、

であつて、被告人らは、いずれも昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路に集つた学生集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、被告人北小路および同加藤昇の両名が、前記全学連の宣伝カーの上からそれぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

(一) ここにおいて、右の被告人らは、宮崎武司、吉田稔、星山保雄こと裴丁鎬、関勇または呉渡竜、常木守、篠田邦雄、佐々木祥氏および学生ら多数と右南通用門前付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵人し、安保阻止の意思表明のため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろ、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、空間を殆んど埋めながら、同門に正対して集結した東京大学、明治大学、中央大学等の学生を主体とした数千名の学生は、前記全学連の宣伝カーの上からおりてきて、先頭列外で腕を上下左右に振つたり、呼び子を吹き鳴らしたりなどして指示していた被告人北小路、同門中央大門の門扉によじのぼり、電気メガホンを手にしたまま、上半身を乗り出して門内の様子をうかがい見ていた被告人西部、先頭列外で、気勢をあおつたり、指示したりなどしていた被告人加藤(尚)、同立川、同小倉、同遠藤、同加藤(昇)、吉田、篠田らの指揮誘導のもとに、スクラムを組んで一団となり、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」の掛け声とともに前進して同門中央大門の門扉に突き当たり、門扉に手をかけ、体を押し当てるなどして、門扉を激しく前後にゆり動かしたが、同門扉には、前記のように角材で補強工作がしてあつて、容易に開かなかつたので、被告人北小路ほか数名が各自、門扉の格子の透き間から手を差し込んで、角材を縛りつけた針金をペンチで切つたり、手で解きほどいたりなどして、角材三本を門扉から地上に落下させたのち、被告人北小路が腕を上下に振るのを合図に、一せいに門扉を前後に大きくゆり動かすなどし、同日午後五時四十分すぎごろ、同門左右二基の門柱に装置してあつた木製門扉二枚(縦一・九二〇メートル、横一・八八〇メートル)をつぎつぎと「ちよおつがい」からむりやりにもぎ取つて、同門扉二枚を破壊したが、同門内側には、阻止車両線として、滝野川警察署借上げ貨物自動車一台と池袋警察署の輸送車一台が並べて置いてあつたので、右の自動車二台の前部を大勢で押したり、引つ張つたりなどし、被告人篠田において、右滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈を有合わせた角材で突き壊わしたりなどしたのち、その前部にロープを結びつけ、これを引つ張つて門外に引き出そうとしたところ、自動車の車体が同門西側の鉄筋コンクリート製門柱に引つかかり、出なかつたので、同日午後六時すぎごろ、被告人小川内において、同門刺頭部の金属製門燈に有合せた電線コードを引つかけ、これを右のロープとともに大勢で引つ張り、西側わき門の木製門扉一枚(縦一・九二〇メートル、横一・八〇〇メートル)もろとも、右鉄筋コンクリート製門柱)〇・二五〇メートル角、高さ二・一〇〇メートル(を引き倒してこれらを破壊し、同日午後六時三十分すぎごろ、同門西側、旧議員面会所裏側の外サク沿いの歩道上において、同所に集つていた被告人坂野ら学生の一団は、交通道路標識板、プラカードの柄、ペンチ等を使用して、同所外サク内側に設置してあつた有刺鉄線製サクの鉄線や棒くいをたたいたり、引きぬいたり、あるいは、鉄線を切断するなどして、同所付近の有刺鉄線製サクを約十メートルの長さにわたつて破壊し、もつて、多衆の威力を示し、かつ共同して前記木製門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ自動車の前照燈等の器物を損壊し

(ロ) 右のように、学生達は、同日五時三十分ごろから、南通用門中央大門の門扉を破壊しはじめたが、それと同時ごろから、同門内側国会議事堂構内で、警備の任務についていた第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊の警察官らに対し、石、コンクリートの破片等を投げつけ、その間、滝野川大隊第一中隊長岩瀬信雄ほか数名の警察官が門扉破壊行為を制止するため、同門東側わき門内側に近づいたところ、被告人遠藤ほか数名の学生は、門扉の格子の透間を通して、竹ザオ、棒等で右警察官らをつつく等の暴行を加え、同日午後五時四十分ごろ、前記のように、南通用門中央大門の門扉二枚を破壊した学生達は、一たん後退して再び隊列を整え、スクラムを組みなおしたうえ、被告人北小路、同加藤(尚)の吹き鳴らす呼び子の調子にあわせて、「ワツシヨイ、ワツシヨイ」とかけ声をかけながら前進し、途中、前進を停め、被告人北小路、同西部、同加藤(尚)、同立川、同小倉、同小川内、同坂野、同遠藤、同加藤(昇)、篠田邦雄、佐々木祥氏らが寄り合い、車両引き出しの方法について協議したのち、さらに前進して、同門中央大門内側に幅一ぱいに並べて置いてあつた滝野川警察署借上げ大型貨物自動車一台、池袋警察署輸送車一台の前部に突き当たり、被告人北小路、同有賀、同杉浦、同小倉、同小川内、同加藤(昇)、吉田稔、星山保雄をと、裴丁鎬、篠田邦雄ほか大勢で、右車両を門内に押し込もうとしたが、車輪にブレーキがかけてあつたのと、阻止車両の後方で配置についていた第四機動隊第二中隊の警察官らがいちはやく木材等を車輪の間に差し込み、後方から押しとどめたため、すこしも動こうとせず、さらに、こんどは、反対に門外へ引き出そうとこころみたが、阻止車両はロープで構内の立木に結びつけてあつたため、結局徒労に帰したので、被告人小川内、同広川において、右自動車のボンネツトの上に上がり、被告人加藤(尚)において、自動車の「ほろ」についていたロープを引つ張り、また、運転台をのぞき込み、被告人坂野、同遠藤、星山保雄こと裴丁鎬、篠田邦雄ら数名において、「ほろ」を取りはずそうとしたり、運転台に手をかけたりなどして、種々の工夫をめぐらし、その間、右のような学生らの行為を阻止するため、滝野川警察署借上げ大型自動車後部荷台上から制止していた第四機動隊第二中隊所属の警察官池田誠次ほか二名に対し、被告人坂野および関勇または呉勇こと呉渡竜は、旗ザオ等で突きかかり、また、同様目的で門外へ出てきた同隊所属の警察官田中保に対し、被告人杉浦、吉田稔ら数名の者は、同人を取り囲んで竹ザオ、棒等で、同人をなぐりつける等の暴行を加えたが、そうこうしているうち、星山保雄こと裴丁鎬が有り合わせたロープを持ち出して来たので、これを右滝野川警察署借上げ自動車の前部に結びつけ、被告人加藤(尚)、同杉浦、同広川、星山保雄こと裴丁鎬ら約五、六十名の者で引つ張つて、右自動車を門外へ引き出し、つづいて同様な手段方法により、池袋警察署輸送車一台を門外へ引き出し、このようにして、結局、警察官が設置した阻止車両線を除去して、右自動車二台をデモ隊の後方に運び去つた。この間他方において、同門東側供待所裏側付近の歩道上に集つていた学生達は、同所付近を警備していた第四機動隊第二中隊、滝野川大隊第一中隊所属の警察官に対し、同日午後六時すぎごろから激しい投石等をくり返し、同所付近の外サクを乗り越えて、国会構内突入を数回試みていたが、その都度、放水車からの放水や警備警察官により押し返されていたところ、同日午後六時三十分ごろから、さらに一段と激しい投石等を集中的に行ない、警備警察官に対し、棒、竹ザオ等で突きかかる、なぐる等の暴行を加えたため、右警察官らをして、外サク内側配電盤付近から供待所方向に漸次後退するのやむなきに至らしめ、さらにまた、旧議員面会所裏側道路上に集つていた学生達も、同所付近の外サクを乗り越えて国会構内突入を試み、警備に当つていた滝野川大隊第二中隊、警察学校部隊の警察部隊の警察官らに投石、投棒をくり返して、右警察部隊により阻止せられていたところ、同日午後六時四十五分ごろから、投石投棒を一段と激しく行ない、その勢いに乗じながら、右有刺鉄線の破壊個所より、順次多数の学生デモ隊が構内に入り、その数が増加したので、右警察官らをして、しだいに旧議員面会所方向に後退するのやむなきに至らしめた。右のように、学生デモ隊は、南通用門内側で国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、暴行を加えて警察官の抵抗をつぎつぎと排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、

(ハ) 同日午後六時四十五分ごろ、南通用門前付近道路上にいた学生デモ隊は、右のように警察官の抵抗を排除しながら、つぎつぎと国会議事堂構内侵入を開始し、被告人西部、同加藤(尚)らを含む約三百名の学生は、同門東側供待所裏側の外サクを乗り越えて、国会構内供待所前藤棚下付近まで進出し、被告人北小路、同有賀、同高橋、同杉浦、同坂野、同遠藤、同加藤(昇)、常木らを含む数百名の学生は、破壊された同門および同門西側旧議員面会所裏側付近の外サクを乗り越えるなどして、国会構内旧議員面会所玄関前中庭まで進出し、もつて衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し、

(二) 同日午後六時四十五分ごろから国会議事堂構内へ侵入した数百名の学生デモ隊は同日午後七時五分すぎごろ、国会構内で警備していた警察部隊の実施した実力行使にあい、間もなく門外へ排除され、侵入した被告人高橋、同杉浦、同藤本、同広川および宮崎武司、ほか学生多数が構内で警察官により逮捕されたが、警察官による実力行使にあつた際、東京大学文学部学生樺美智子が死亡したほか、多数の学生が重軽傷を負うに至つた。そこで、被告人北小路、同西部、同宮脇、同大瀬、同立川、同小倉、同加藤(昇)は、星山保雄こと裴丁鎬、常木守、篠田邦雄ら約三千名の学生と、前記共謀に基づき、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、国会議事堂構内へ侵入し、右樺美智子死亡に対する抗議の意思をもあわせて表明するため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 右被告人ら約三千名の学生デモ隊は、同日午後七時三十分ごろから続続と南通用門付近から国会構内中庭に押し入り、被告人北小路、同立川らの乗つた前記全学連の宣伝カーもあとから続いて構内に侵入し、同日午後八時十分ごろから午後十時ごろまでの間、同門内側、議事堂本館前植込み付近の中庭において、全学連の宣伝カーを中心に、学生らがすわり込んだり、シユプレヒコールをしたりなどし、次いで被告人北小路の司会で、被告人西部、同加藤(昇)、各学校の代表者その他の者が右宣伝カーの上からこもごも演説やあいさつをしたのち、死亡した女子学生に対する一分間の黙とうを行うなどして抗議集会を開催し、もつて、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し、

(ロ) 学生デモ隊による抗議集会が南通用門内側の中庭で開かれている間、同所付近には他の部署から転進してきた警察部隊が遂次増強され、抗議集会の学生デモ隊を取り囲むような隊形で警備配置についたが、同日午後十時ごろにおけるその配置状況は、おおむね、別紙第二図で図示するように、供待所北西角と議事堂本館東南角との中間で、議事堂正門方向に続く中庭において、警察部隊による阻止線を形成し、第一線として、中央に立川大隊(大隊長松本捷七郎以下二百三十九名神田)大隊(大隊長木幡計以下百六十名)、その左右に滝野川大隊第一中隊(中隊長岩瀬信雄以下六十二名)および第二機動隊第三中隊(中隊長山崎喜代司以下九十六名)、その後方正門寄りに第二線として、久松大隊(大隊長村上正武以下百六十四名)、玉川大隊(大隊長前川太一以下百五十一名)さらにその後方第三線として、三田大隊(大隊長阿部運弥以下百五十三名)が配置につき、第七方面本部長岡村端が右阻止線警察部隊の指揮をとり、右阻止線と学生デモ隊をはさんだ反対側の、旧議員面会所と議事堂本館南西角の間に形成した阻止線には、池上大隊、第二、第四機動隊、深川大隊、警察学校部隊が配置につき、第五方面本部長伊藤秀宏が右阻止線警察部隊の指揮をとり、抗議集会を行つていた学生デモ隊の動向を警戒するとともに、右学生デモ隊が同所からさらに構内奥深く進入するのを阻止する任務に当つていたところ、同日午後十時すぎごろ、抗議集会を行つていた学生デモ隊約三千名は、被告人北小路、同西部らが前記全学連の宣伝カーの上からこれから「国会正門の方へ行つてさらに抗議集会を開こう」「ガツチリとスクラムを組んでもらいたい」趣旨を呼びかけるや、これに応じて、ただちにスクラムを組み、竹ザオを横にし、一団となり、すぐ、その場から立川大隊、神田大隊等の前記阻止線中央部に激しく突き当たり、警備中の前記警察部隊の警察官に対し、突く、押す等の暴行を加え、もつて、第七方面本部長岡村端指揮下の立川大隊、神田大隊、久松大隊、三田大隊、滝野川大隊第一中隊、第二機動隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、その際、立川大隊第一中隊長市川和吉ら十三名の警察官に対し、別紙一覧表記載のとおり、全治まで約七日間を要する右胸部圧迫症等の傷害を蒙らせ

二  被告人宮崎武司は、東京教育大学文学部の学生で、東京学生会館自治委員の職にあつたものであつて、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏および加藤昇の両名が前記全学連の宣伝カーの上からそれぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて、拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

ここにおいて、被告人宮崎武司は、北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、加藤昇、吉田稔、星山保雄こと裴丁鎬、関勇または呉勇こと呉渡竜、常木守、篠田邦雄、佐々木祥氏および学生ら多数と右南通用門付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、前記一の(一)、(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ、共同して同記載の門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈等の器物を損壊し、

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で国会構内警備の任務に当つていた警察官に対し、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ、警察官の抵抗を排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、

(ハ) 同日午後七時ごろ、数百名の学生とともに、破壊された南通用門から、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し、

三  被告人吉田稔は、明治大学文学部の学生で、同大学学生会文学部自治委員長の職にあつたものであつて、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏および加藤昇の両名が前記全学連の宣伝カーの上から、それぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて、拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

ここにおいて、被告人吉田稔は、北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、加藤昇、宮崎武司、星山保雄こと裴丁鎬、関勇または呉勇こと呉渡竜、常木守、篠田邦雄、佐々木祥氏および学生ら多数と右南通用門前付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、先頭列外で、学生デモ隊を指揮誘導し、自らも右学生らとともに南通用門中央大門の門扉に突き当たり、門扉に手をかけなどして、門扉を前後にゆり動かし、竹ザオで同門西側のわき門の門扉を突いたほか、前記一の(一)、(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ、共同して、同記載の門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上貨物自動車の前照燈等の器物を破壊し、

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、阻止車両の車止めを取りはずすため、丸太をもちいて、自動車の車輪を突き、右阻止車両を引き出すため、自動車に結びつけたロープを多数学生らとともに引つ張り、または、同自動車前部に足をかけて、その引き出しを指揮し、あるいは、学生達の行動を制止するため、門外へ出てきた第四機動隊第二中隊所属の警察官田中保に対し、竹ザオで同人をなぐりつける等の暴行を加えたほか、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ警察官の抵抗をつぎつぎと排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し

(ハ) 同日午後七時ごろ、数百名の学生とともに、破壊された南通用門から、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し、

四  被告人星山保雄こと裴丁鎬は、明治大学経済学部の学生で、同大学自治委員の職にあつたもの、

被告人関勇または呉勇こと呉渡竜は、明治大学農学部の学生であつたもの

であつて、いずれも、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏および加藤昇の両名が前記全学連の宣伝カーの上から、それぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて、拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

(一) ここにおいて、被告人裴丁鎬および同呉渡竜は、北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、加藤昇、宮崎武司、吉田稔、常木守、篠田邦雄、佐々木祥氏および学生ら多数と南通用門前付近道路上において互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、被告人裴は、中央大学自治会の白い標旗をふつて学生デモ隊を指揮誘導し、また、学生多数と同門中央大門の門扉を「ちよおつがい」からむりやりにもぎ取る際、自らも力を合わせ、被告人呉は、学生デモ隊の先頭第一列にあつて、竹ザオを横に構えながら、学生ら多数とともに同門扉に突き当たつたほか、前記一の(一)(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ、共同して同記載の門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈等の器物を損壊し

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、被告人裴は、阻止車両の運転台あたりに入り、あるいは、有り合わせのロープを持つてきて、滝野川警察署借上げ自動車の前部に結びつけ、これを引つ張つて右自動車を門外に引き出し、被告人呉は、右自動車後部荷台上から制止していた第四機動隊第二中隊所属の警察官池田誠次ほか二名に対し、旗ザオで突きかかり、あるいは、同日午後六時四十五分ごろ、同門東側門柱上に上り、構内の警察官の隊列のなかへ、石を十数回投げつける等の暴行を加えたほか、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ、警察官の抵抗をつぎつぎ排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し

(ハ) 同日午後七時ごろ、数百名の学生とともに、被告人裴は、破壊された南通用門から、被告人呉は、同門東側供待所裏側の外サクを乗り越えて、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(二) 同日午後六時四十五分ごろから国会議事堂構内へ侵入した数百名の学生デモ隊は、同日午後七時五分すぎころ、国会構内で警備していた警察部隊の実施した実力行使にあい、間もなく門外へ排除され、侵入した前記高橋、杉浦、藤本、広川、宮崎、ほか学生多数が構内で警察官により逮捕されが、警察官による実力行使にあつた際、東京大学文学部学生樺美智子が死亡したほか、多数の学生が重軽傷を負うに至つた。そこで、被告人裴は北小路敏、西部邁、宮脇則夫、大瀬振、立川美彦、小倉征文、加藤昇、常木守、篠田邦雄ら約三千名の学生と前記共謀に基づき、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、国会議事堂構内に侵入し、右樺美智子死亡に対する抗議の意思をもあわせて表明するため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後七時三十分ごろ、約三千名の学生らとともに、南通用門から国会構内中庭に押し入り、同日午後八時十分ごろから午後十時ごろまでの間、同門内側、議事堂本館前植込み付近の中庭において、全学連の宣伝カーを中心に、学生ら多数がすわり込んだり、シユプレヒコールをしたりなどし、次いで、北小路敏の司会で、西部邁、加藤昇、各学校の代表者その他の者が右宣伝カーの上からこもごも演説やあいさつをした後、死亡した女子学生に対する一分間の黙とうを行うなどして抗議集会を開催し、もつて、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(ロ) 学生デモ隊による抗議集会が南通用門内側の中庭で開かれている間、同所付近には、前記一の(二)、(ロ)記載のように警察部隊が阻止線を形成し、学生デモ隊の動向を警戒するとともに、同所からさらに構内奥深く進入するのを阻止する任務に当たつていたところ、同日午後十時すぎごろ、北小路敏、加藤昇、西部邁らが「これから国会正門へ行つてさらに抗議集会を開こう」「ガツチリとスクラムを組んでもらいたい」趣旨を呼びかけるや、すぐその場から、同記載の手段方法をもちい、警備中の警察部隊に対し、突く、押す等の暴行を加え、もつて、第七方面本部長岡村端指揮下の立川大隊、神田大隊、久松大隊、三田大隊、滝野川大隊第一中隊、第二機動隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、その際、立川大隊第一中隊長市川和吉ら十三名の警察官に対し、別紙一覧表記載のとおり、全治まで約七日間を要する右胸部圧迫症等の傷害を蒙らせ

五  被告人常木守は、昭和三十三年三月山梨大学学芸学部人文科学科卒業後、共産主義者同盟中央委員会政治局員の職にあつたものであつて、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生の集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏、加藤昇、西部邁らが、全学連の宣伝カーの上からマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

(一) ここにおいて、被告人常木守は北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、加藤昇、宮崎武司、吉田稔、星山保雄こと裴丁鎬、関勇または呉勇こと呉渡竜、篠田邦雄、佐々木祥氏および学生ら多数と右南通用門前付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を除去して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、右構内で、抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、前記一の(一)、(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ、共同して同記載の門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈等の器物を損壊し

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、同門西側、旧議員面会所裏側の歩道上から、石を一回、投げたほか、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ警察官の抵抗をつぎつぎと排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊、および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し

(ハ) 同日午後六時三十分すぎごろ、同門西側、旧議員面会所裏側歩道上において、腕を上下に振つて学生デモ隊を指揮したり、構内に入つた全学連の宣伝カーの上から学生デモ隊を誘導したりなどして、同日午後六時四十五分すぎごろ、数百名の学生とともに、同門付近から、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(二) 同日午後六時四十五分ごろから国会議事堂構内に侵入した数百名の学生デモ隊は、同日午後七時五分すぎごろ、国会構内で警備していた警察部隊の実施した実力行使にあい、間もなく門外へ排除され、侵入した前記高橋、杉浦、藤本、広川、宮崎ほか学生多数が構内で警察官により逮捕されたが、警察官による実力行使にあつた際、東京大学文学部学生樺美智子が死亡したほか、多数の学生が重軽傷を負うに至つた。そこで、被告人常木は、北小路敏、西部邁、宮脇則夫、大瀬振、立川美彦、小倉征文、加藤昇、星山保雄こと裴丁鎬、篠田邦雄ら約三千名の学生と前記共謀に基づき、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、国会議事堂構内へ侵入し、右樺美智子死亡に対する抗議の意思をもあわせて表明するため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後七時三十分ごろ、約三千名の学生らとともに、南通用門から国会構内中庭に押し入り、同日午後八時十分ごろから午後十時ごろまでの間、同門内側、議事堂本館前植込み付近の中庭において、全学連の宣伝カーを中心に、学生ら多数がすわり込んだり、シユプレヒコールをしたりなどし、次いで、北小路敏の司会で、西部邁、加藤昇、各学校の代表者その他の者が右宣伝カーの上からこもごも演説やあいさつをしたのち、死亡した女子学生に対する一分間の黙とうを行うなどして抗議集会を開催し、もつて、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(ロ) 学生デモ隊による抗議集会が南通用門内側の中庭で開かれている間、同所付近には、前記一の(二)、(ロ)記載のように警察部隊が阻止線を形成し、学生デモ隊の動向を警戒するとともに、同所からさらに構内奥深く進入するのを阻止する任務に当たつていたところ、同日午後十時すぎごろ、北小路敏、西部邁、加藤昇らが「これから国会正門へ行つてさらに抗議集会を開こう」「ガツチリとスクラムを組んでもらいたい」趣旨を呼びかけるや、すぐその場から、同記載の手段方法をもちい、警備中の警察部隊に対し、突く、押す等の暴行を加え、もつて、第七方面本部長岡村端指揮下の立川大隊、神田大隊、久松大隊、三田大隊、滝野川大隊第一中隊、第二機動隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、その際、立川大隊第一中隊長市川和吉ら十三名の警察官に対し、別紙一覧表記載のとおり全治まで約七日間を要する右胸部圧迫症等の傷害を蒙らせ

六  被告人篠田邦雄は、明治大学工学部の学生で、同大学学生会工学部学生会中央執行委員の職にあつたもので、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において、多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏および加藤昇の両名が前記全学連の宣伝カーの上から、それぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説は、その場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて、拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

(一) ここにおいて、被告人篠田邦雄は、北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇己、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、吉田稔、加藤昇、宮崎武司、星山保雄こと裴丁鎬、関勇または呉勇こと呉渡竜、常木守、佐々木祥氏および学生多数と右南通用門前付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、立川美彦とともに旗ザオで空中に架設した電話線を叩き落したり、自ら滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈を有合わせた角材で突き壊したほか、前記一の(一)、(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ、共同して同記載の木製門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈等の器物を損壊し

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で、国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ、暴行を加えて警察官の抵抗をつぎつぎと排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し

(ハ) 同日午後六時四十五分すぎごろ、数百名の学生とともに、破壊された南通用門から衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(二) 同日午後六時四十五分ごろから国会議事堂構内へ侵入した数百名の学生デモ隊は、同日午後七時五分すぎごろ、国会構内で警備していた警察部隊の実施した実力行使にあい、間もなく門外へ排除され、侵入した前記高橋、杉浦、藤本、広川、宮崎ほか学生多数が構内で警察官により逮捕されたが、警察官による実力行使にあつた際、東京大学文学部学生樺美智子が死亡したほか、多数の学生が重軽傷を負うに至つた。そこで被告人篠田邦雄は、北小路敏、西部邁、宮脇則夫、大瀬振、立川美彦、小倉征文、加藤昇、星山保雄こと裴丁鎬、常木守ら約三千名の学生と前記共謀に基づき、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、国会議事堂構内へ侵入し、右樺美智子死亡に対する抗議の意思をもあわせて表明するため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後七時三十分ごろ、約三千名の学生らとともに南通用門付近から国会構内中庭に押し入り、同日午後八時十分ごろから午後十時ごろまでの間、同門内側議事堂本館前植込み付近の中庭において、全学連の宣伝カーを中心に、学生ら多数がすわり込んだり、シユプレヒコールをしたりなどし、次いて、北小路敏の司会で、西部邁、加藤昇、各学校の代表者その他の者が右宣伝カーの上からこもごも演説やあいさつをしたのち、死亡した女子学生に対する一分間の黙とうを行うなどして抗議集会を開催し、もつて、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入し

(ロ) 学生デモ隊による抗議集会が南通用門内側の中庭で開かれている間、同所付近には、前記一の(二)、(ロ)記載のように警察部隊が阻止線を形成し、学生デモ隊の動向を警戒するとともに、同所からさらに構内奥深く進入するのを阻止する任務に当たつていたところ、同日午後十時すぎごろ、北小路敏、加藤昇、西部邁らが「これから国会正門へ行つてさらに抗議集会を開こう」「ガツチリとスクラムを組んでもらいたい」趣旨を呼びかけるや、すぐその場から、同記載の手段方法をもちい、警備中の警察部隊に対し、突く、押す等の暴行を加え、もつて、第七方面本部長岡村端指揮下の立川大隊、神田大隊、久松大隊、三田大隊滝野川大隊第一中隊、第二機動隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し、その際立川大隊第一中隊長市川和吉ら十三名の警察官に対し、別紙一覧表記載のとおり、全治まで約七日間を要する右胸部圧迫症等の傷害を蒙らせ

七  被告人佐々木祥氏は、昭和三十五年三月一橋大学社会学部を卒業したものであつて、昭和三十五年六月十五日、南通用門前付近道路上に集つた学生の集団に参加し、その行動をともにしていたものであるが、同日午後五時ごろ、同門前付近道路上において多数学生によるデモ行進が停滞していた際、北小路敏および加藤昇の両名が前記全学連の宣伝カーの上から、それぞれマイクを使用して「国会構内の抗議集会をめざしてきよう一日を闘おう」「明大、中大の学友諸君はきようも先頭を切つてもらいたい」「国会構内における集会はわれわれの権利だ」という趣旨の演説をこもごもして学生らに呼びかけ、右演説はその場に集つていた明治大学、中央大学、東京大学、法政大学等の学生多数によつて拍手と喚声をもつて迎えられ、その賛同を得た。

ここにおいて、被告人佐々木祥氏は、北小路敏、西部邁、加藤尚武、宮脇則夫、立川美彦、大瀬振、高橋昭八、有賀信勇、杉浦克己、坂野潤治、小倉征文、遠藤陸二、小川内明弘、藤本正雄、広川晴史、加藤昇、宮崎武司、吉田稔、星山保雄こと裴丁鎬関勇または呉勇こと呉渡竜、常木守、篠田邦雄および学生ら多数と南通用門前付近道路上において、互いに意思をあい通じて共謀のうえ、右南通用門内側で警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、同門および同門付近から国会議事堂構内に侵入し、安保阻止の意思を表明するため、右構内で抗議集会を開こうと企て

(イ) 同日午後五時三十分ごろから午後六時三十分ごろまでの間、南通用門前のほぼ扇形をした空地とこれに続く道路上において、自らも同門の門扉に突き当たつたりしたほか、前記一の(一)、(イ)記載の手段方法をもちい、多衆の威力を示し、かつ共同して同記載の門扉三枚、鉄筋コンクリート製門柱一基、有刺鉄線製サクおよび滝野川警察署借上げ貨物自動車の前照燈等の器物を損壊し

(ロ) 同日午後五時三十分ごろから午後七時五分ごろまでの間、同所において、南通用門内側で国会構内警備の任務についていた警察官らに対し、自らも多数学生とともに阻止車両を押したり、引つたり、ロープを車両のバンバーに結びつけたりしたほか、前記一の(一)、(ロ)記載の手段方法をもちい、警察官が設置した阻止車両線の自動車二台を除去し、かつ、警察官の抵抗をつぎつぎと排除し、もつて、第五方面本部長伊藤秀宏指揮下の滝野川大隊、第四機動隊および警察学校大隊第三中隊所属の警察官多数の前記職務執行を妨害し

(ハ) 同日午後七時ごろ、数百名の学生とともに、破壊された南通用門付近から、衆議院議長が部分を分けて管理する国会議事堂構内に管理者の意思に反して侵入したものである。

第三証拠の標目(略)

第四確定裁判

一  被告人西部邁は

(1)  昭和三十六年十二月二十二日、東京地方裁判所において、建造物侵入、威力業務妨害罪により、懲役八月、二年間執行猶予に処せられ、右裁判は、昭和三十七年七月十九日確定し

(2)  昭和三十七年六月二十七日、同裁判所において、公務執行妨害罪により、懲役六月、三年間執行猶予に処せられ、右裁判は、同年七月十二日確定し

二  被告人加藤昇、同宮脇則夫、同立川美彦は、いずれも昭和三十六年十二月二十二日同裁判所において、建造物侵入罪(被告人立川については同罪)と威力業務妨害罪により、懲役六月、二年間執行猶予に各処せられ、右の各裁判はいずれも昭和三七年一月六日確定し

三  被告人遠藤陸二は、昭和三十八年四月二十日、同裁判所において、傷害、暴力行為等処罰に関する法律違反、監禁罪により、懲役十月、二年間執行猶予に処せられ、右裁判は同年五月五日確定し

四  被告人関勇または呉勇こと呉渡龍は、昭和三十八年九月三十日、広島地方裁判所において、昭和三十六年広島県条例第一三号集団示威運動集団行進および集会に関する条例違反罪により、罰金一万円に処せられ、右裁判は、昭和三十九年九月十八日確定したものであつて、右各事実は、右被告人らに対するそれぞれの前科調書記載により明らかである。

第五被告人、弁護人の主張に対する判断

被告人および弁護人の主張について、以下検討するにあたり、予め注意しておきたいことは、右の主張がすこぶる多岐多様にわたることである。すなわち、本件関係被告人二十三名のうち、被告人吉田をのぞく被告人二十二名は、当初から併合審判を受けていたものであるところ、第七十回、第七十二回公判において、弁護人らの弁護方針ならびにその主張と対立したという理由で、被告人裴丁鎬、同呉渡竜、同常木守、同篠田邦雄、同佐々木祥氏が公判手続の分離を要求し、弁護人らとたもとを分かつに至つた結果、これら被告人ならびにその後同被告人らについた各弁護人各自の主張は、右の弁護人らの主張とおのずからその内容を異にし、たとえ、内容が同一であつても、その論拠とする理由については、必ずしも同一ではなく、また、本件被告人北小路ら十七名の分離要求をしなかつたもの相互の間にあつても、その意見として述べる主張は、まちまちであつて統一されていない。さらに、右弁護人らの主張にあつても、第二回公判に意見を開陳した弁護人らのうちから相当数のものが弁護を辞し、最終弁論として意見を述べた弁護人は、倉田哲治、儀同保、内田剛弘、岡村勲、坂本福子の五弁護人にすぎなかつたため、審理当初の主張と最終段階における主張とは、細かい点においては、必ずしも一致しているとはいえないうえに、同一事項にあつても、いろいろな角度と観点から、種々の論拠を挙げて多彩で精ちな理論構成を展開させているという有様である。それで、当裁判所は、分離した被告人らおよびその弁護人らの主張をもふくめて、これら多岐多様にわたる主張のうち、最高裁判所の判例としてすでに判断が示されたものや、本件事実認定ならびに本件事案の成否にさほど重要でないと思われる点を整理し、事実上、法律上の問題について、以下検討していくこととするが、以下、特定被告人の氏名を特にかかげないものは、全被告人に共通するか、もしくは、被告人北小路ら十七名の分離要求をしなかつた被告人およびその弁護人五名に共通する主張ならびにそれに対する当裁判所の判断である。

一、共謀成立の否定の主張

(一)  主張の要旨

(イ) 本件犯行当時、南通用門前付近に集つた学生の数は、数千名にも達し、被告人北小路らが全学連の宣伝カーの上から呼びかけを行つていたとき、すでに他の学生の集団は、南通用門に突き当たつていた状況であつたから、場所的にもかつ、人的にも共謀の成立する余地がないとの主張、および被告人常木の、被告人ら多数の間に安保阻止、岸内閣打倒等の共通の意思はあつても、器物損壊、公務執行妨害、建造物侵入についての意思について、共通なものはなかつたとの主張

(ロ) 第二次侵入といわれる同日午後七時三十分すぎの国会構内侵入は、第一次侵入は、第一次侵入といわれる午後六時四十五分すぎの国会構内侵入後相当の時間を経過しているから、共謀の事実は存在しなかつたし、また、その証明もないという主張

について。

(二)  当裁判所の判断

(イ) 六月十五日午後五時ごろ、南通用門前道路上には、被告人らをふくむ学生らデモ隊のほかに、全学連反主流派、労働者、一般市民のデモ隊等多数の群衆がむらがり集つていたこと、国会周辺をデモ行進した学生達は、南通用門などの門扉に突き当たつたりなどしていたことは、すでに判示認定のとおりであり、(証人田島徹夫の供述記載部分等参照)また、被告人北小路が宣伝カーからおりてきて、デモ隊の指揮をとるため前進した際、同人と南通用門との距離が約三十メートルあつたことは、第十四回公判調書中の証人佐藤英秀の供述記載部分により明らかであり、さらにまた、被告人加藤尚武が最終意見陳述(第百十回)の際主張指摘するように、当時、その場は、混乱と喧そうをきわめていたから、被告人北小路らの右の呼びかけは、その場に集つていた学生達全員によく聞きとれたかどうかは、なるほど疑わしいものといえる。しかしながら、その呼びかけは、明治大学、中央大学等の学生らによつて拍手と喚声をもつて迎えられたこと、その直後、宣伝カーからおりてきた被告人北小路は、先頭列外で腕を振つたり、呼び子を鳴らしたりして、学生デモ隊を指揮誘導したほか、被告人西部、同加藤(尚)、同立川、同小倉、同遠藤、同加藤(昇)、同吉田らが同様学生デモ隊を誘導をしたこと、右の指揮誘導に従い、学生デモ隊は、スクラムを組み、かなりの統制ある行動をとりながら、南通用門の門扉破壊行為に着手し、その後、同じような指揮誘導に従い、かなりの統制ある行動のもとに阻止車両線の除去作業を行い、国会構内侵入に際しては、スクラムを組み、あるいは、被告人北小路、同常木らの指揮誘導に従つたことは、前示各証拠により、明らかに認められるところである。

右のような一連の行動から、被告人北小路らの呼びかけに応じてその意思を連絡した学生多数の間、および右の呼びかけを契機として、順次、意思を連絡した学生多数の間に、判示認定のような警備中の警察部隊、車両阻止線等の障害を排除して、南通用門付近から国会構内に侵入し、安保阻止の意思表明のため、抗議集会を開こうという同一意図のもとに行動し、かつ、判示事実に対する共同の認識を有していたものと認めるのに十分であつて、しかも、その間に意思の連絡をも十分に認められるから、判示認定のように、刑法第六十条にいう共同正犯の成立を否定することはできない。

(ロ) 次に、同日午後七時三十分すぎのいわゆる第二次侵入は、いわゆる第一次侵入から相当の時間経過後に行われたこと、第二次侵入直前には被告人らの間において、相談、打ち合わせ等、特段の謀議行為の存在が認められないことについては、争のないところであるが、それだからといつて、ただちに、被告人らの共同正犯を認定する妨げとなるというものではない。被告人らは、約三千名の学生らとともに、意思を同じくして国会構内に侵入し、被告人北小路らの指揮統制のもとで、演説やあいさつを行つたり、死亡女子学生に対する一分間の黙とうを行つたりして抗議集会を開き、さらにまた、同被告人らの呼びかけにより、正門方向にいくため、スクラムを組み、阻止線を形成していた警察部隊に突き当たつたのであるから、被告人ら相互間および学生多数の間に、判示事実に対する共同の認識および意思の連絡があつたものと認めるのに十分であり、しかも、いわゆる第一次激突の際における警察官の暴行に対し、抗議の意思を表明する目的、意図がその後に加わつたものであつても、当初における共通の目的、意図と同一である限り、同一犯意および意思連絡のもとでなされたと認めるのが相当であつて、弁護人らが主張するごとく、何ら意思の連絡もない、「う合の衆」による、別個独立した単なるバラバラの行為とは到底認められないところである。

(ハ) なお、弁護人らは、被告人大瀬、同坂野、同宮脇、同高橋、同藤本、同宮崎、同広川らは、いずれも被告人北小路らの前記呼びかけが行われた際、その場にいなかつたから、共謀に参加したものとはいえないと主張するようであるところ、被告人坂野、同広川らの行為については、すでに判示したとおりであるほか、右の被告人らは、第一次侵入の際、いずれも国会構内に侵入したこと、被告人大瀬、同宮脇については、第二次侵入の際、国会構内に侵入し、抗議集会に参加のうえ、第二次激突の際にもその行動をともにしていたことが前示各証拠によつて明らかなところであつて、右は、被告人北小路らが前記呼びかけを行つたとき、仮にその場に居合わせなかつたとしても、順次、その意思を連絡したうえ、犯罪事実に対する共同の認識のもとで右の行動に出たものと認めざるを得ないから、右被告人らも共同正犯としての罪責を免れないものである。結局、共謀の成立を否定する弁護人らの右主張および被告人常木の主張は、いずれもこれを採用できない。

二、警察官の公務執行行為の否定の主張

(一)  主張の要旨

(イ) 本件当時、国会構内の警備に当たつていた警察部隊は、警視庁警備総本部長の総指揮のもとに行われ、衆議院議長の指揮のもとに行われたものではないから、国会法第百十四条、第百十五条の規定に違反するとの主張

(ロ) 本件行為は、警察官による放水車からなされた放水、あるいは、氏名不詳の背広服をきた「ナゾの男」による阻止車両に対する放火、破壊等といつた警察側の挑発行為に誘発されてなされたものであるから、警察官の職務行為は、適法なる公務執行とはいえないとの主張

(ハ) 第四機動隊、滝野川大隊を中心とする警察部隊は、同日午後七時五分すぎごろ、一せいに実力行使を行つて、侵入学生デモ隊を門外に排除したが、その際、警察官は、学生に対し、所携の警棒を振るつて暴行を加えた。その結果、学生らのうちから、東京大学文学部学生樺美智子をして死亡させたほか、多数の重軽傷者を出すに至つた。また、同日午後十時すぎごろ、さらに抗議集会を正門の方で開くため、南通門付近の構内で抗議集会を開いた学生達が正門の方へ移動しようとした際、学生達の前面と背後に阻止線を形成していた警察官は、一せいに学生らに対し、警棒で打ちかかり、なぐりつけ、けりつける等暴行を加えて、その結果、再び学生らのなかから多数の重軽傷者を出すに至つたが、警察官は、重軽傷者に対する救護活動を阻止したのみならず、負傷者に手錠をはめ、議員面会所地下室へ連行する等、暴虐な行為におよんだものであるから、これら警察官の行動は、適法な公務の執行行為とはいえないとの主張

について。

(二)  当裁判所の判断

(イ) 警視庁は、衆参両議院議長の国会法第百十五条の規定に基く警察官派出要請により、第十八次統一行動の当日である本件犯行日における警備実施計画を立案し、右計画に従い、警視庁警備部長玉村四一が総本部長となり、第五方面本部長伊藤秀宏が国会構内を、第七方面本部長岡村端が国会裏をそれぞれ警備に当たることになつたことおよび同日午後五時三十分すぎごろと同日午後十時ごろにおける南通用門内側における警察部隊の配置状況については、すでに判示認定のとおりである。(別紙略図第一、第二図参照)。しかして、警備総本部長玉村四一は

(1) 国会構内に不法侵入するものが出ないよう警備すること

(2) 不法侵入したものがある場合には逮捕、もしくは排除すること

(3) 逮捕者は警視庁に身柄を引き渡すこと

という三項目につき、両院議長から総括的な指揮を受け、その指揮内容に基き具体的な警備実施を行つたものである。従つて、両院議長が事細かく、具体的に、かつ、現場に臨むというような、いわゆる陣頭指揮をしなかつたということだけで、たやすく、両院議長が議院警察権を包括的に警視庁に委任委譲したものと即断するのは失当であつて、本件のように派出警察官の人数、規模がきわめて、膨大な場合にあつては、右のような総括的な指揮があつた以上、右派出警察官は、指揮系統を順次経て、両院議長の指揮を受けていたものと認めるのに少しも差しつかえがないから、本件警備警察官の警備実施は、もとより国会法による適法な職務行為であると認めるのが相当である。

(ロ)(1) 証人村沢理一(第五十三回)、同水上淳(第七十五回)の各証言によれば、南通用門の内側から警察の放水車二台による放水がなされたこと、放水は、午後六時十五分ごろ行われたが、阻止車両から火の手が上つたので、それを消火するためになされたものであること、そのころから午後七時ごろまでの間、断続的に五・六回行われたが、それは、阻止車両の引出し作業を行つていた学生デモ隊および構内に侵入してくる学生デモ隊を制止、排除するためになされたものであること、放水の強さは、運転台のアクセルの踏み加減によるが、通常斜角四五度で、約七・八十メートルさきまでとどくことが認められる。しかして、右のような警察側の放水のため、これをまともに受けた学生達のなかには、車両ボンネツトの上から転落したり、地上に転倒したりしたものがあつたことも認められるが(証人前原和彦(第八十一回)の証言)、しかしながら、右の程度は、警察官の違法行為者に対する制止、抑制措置として、職務執行上、真にやむを得ない程度のものと認めるのが相当であるから、右の放水をもつて、警察官の不法な挑発行為と認めることはできない。

(2) また、長髪で背広服にズツク靴をはいた氏名不詳の若い男が阻止車両のボンネツトに上り、角材で車両の前面ガラスを突き破つたり、または、自動車の装備品等を破壊したり、あるいは、自動車の運転台のなかへ火のついた紙片を投げ込んだりしたことは、押収中の十六ミリフイルムやその他の写真等により明白であるが、右の背広服の男が警察側のいわゆる(回し者)であると認めるに足りる証拠は、何ら存在しないから、右の男の行為をもつて、警察側の挑発行為とは到底認め難い。もつとも、右の背広服の男が被告人らと共同の意思の連絡をもつていたと認めるに足りる証拠もまた存在しないから、右の背広服の男が行つた放火や自動車の前面ガラス、装備品等の破壊行為の結果を被告人らの罪責に帰することができないこともいうまでもないところであるから、判示器物損壊の認定中から右背広服の「ナゾの男」の行為については、これを除外したことを付言する。

(3) さらに、南通用門の内側には、多数の警察官が鉄帽に身を固め、物物しく警備配置につき、阻止車両がいかめしく並べてあつたため、その場に異様なふん囲気が感ぜられたとしても、これをとらえて、警察官の挑発行為というのは正当ではない。

(ハ)(1) 同日午後七時五分すぎころ(以下第一次激突という)と午後十時すぎごろ(以下第二次激突という)の二回にわたり、国会構内で警備中の警察官が一せいに実力行使を実施したことについては、前示各証拠により、争いのない事実であるが、弁護人および被告人らは、その際、警察官によつて暴行が行われた旨主張するのに対し、検察官は否認する。しかして、警察官が実力行使にあたつて暴力を行つた否かが本件審理における最大、かつ、重要な争点となつたところである。

ところで、特に本件におけるような数百名(第一次激突)ないしは約三千名(第二次激突)にもおよぶデモ隊など多数集団による違法行為を制止、規制するために警察官がとり得る有形的物理的な作用としての実力施用の限界について、一般的概括的な基準を定立してこれを論ずることは、きわめて困難な問題であつて、結局、具体的にデモ隊等多数集団の人数、規模、その行為手段の程度等、事案の実情に即して合理的な判断をするよりほかはない。しかしながら、たとえ警察官が職務行為として、物理的な有形力を施用する場合であつても、正当防衛、緊急避難にあたる以外には、みだりに人に危害を加えてはならないことは、憲法前文、第三章自由権に関する諸規定、なかんずく第三十一条、および刑事訴訟法第百九十七条第一項等、一般法理上、当然のことがらであつて、警察官職務執行法第七条但書(武器の使用の限界)の規定をまつまでもないところである。しかして、警察官がその職務の執行に際し、正当防衛、緊急避難にあたらないのに、みだりに人に危害を加えた場合には、その行為は違法な職務行為となるから、右の違法な行為に対し、反撃行為に出て、警察官に暴行を加えたとしても、公務執行妨害罪は成立せず、このことは、警察官が指揮官の指揮統卒のもとで、部隊行動をとつていた場合であつても異るところがないと解するのが相当である。

そこで、これを本件についてみるのに、同日午後五時三十分ごろから第一次激突までの間、すちわち、実力行使が行われるまでにあつては、判示認定のように、学生デモ隊は、警察官が設置した阻止車両線を除去したり、あるいは、警備配置についていた警察部隊の警察官に対し、投石などしたりして暴行を加え、また第二次激突の際の実力行使が行われる直前にあつては、判示認定のように、学生デモ隊は、国会正門方向に移動しようとして阻止線で警備していた警察部隊の警察官に対し、大勢の圧力で突き当たる等の暴行を加えて、その職務執行行為を妨害したものであるところ、他方、警察官側にあつては、学生デモ隊に対し、警告放送や放水等当然と思われる制止処置を行つたほかには、何ら非難されるような行動をしなかつたものであるから、右の各時点における被告人らの各行為については、判示認定のように、明らかに公務執行妨害罪が成立するから、この点に関する限り弁護人らの主張は理由がない。

(2) そこでさらに、第一次激突および第二次激突の際における警察官の実力行使そのものについて検討を加えると、

前記各証拠によれば

第一次激突の際には、学生デモ隊は、スクラムを組んだり、投石をしたりなどしながら、南通用門東側の供待所裏側からと、同門およびそれに近接する西側の旧議員面会所裏側からとの二手から国会構内へ侵入し、いずれも建物ぞいに、一方は、約三百名の学生が供待所「藤棚」下まで、他方は、数百名の学生が旧議員面会所玄関前付近中庭まで進出したこと、これに対し、警察部隊は、侵入してくる学生デモ隊の勢いに押されて、同門内側議事堂本館寄りに後退していたが、同日午後七時五分すぎごろ、一せいに実力行使を開始し、滝野川大隊、第四機動隊、第二機動隊、本所大隊等の警察部隊が供待所側と旧議員面会所側とあい呼応して、各指揮官の号令一下、警棒を構え、ワアーツと喚声をあげながら早足で前進し、一気に学生を門外に排出したこと、旧議員面会所東南角と南通用門との中間には、警察の輸送車等数台が不規則に置かれていて、学生デモ隊の門外への退路をせばめ、遮断している状況であつたから、前面から一気に押し返えされた学生デモ隊は、後ろからなおも侵入してくる学生デモ隊に押されたこともあつて、右輸送車付近で多数が折り重つて倒れ、いわゆる「人なだれ」が生じたことが認められる。

第二次激突の際には、国会正門の方へ移動しようとした学生デモ隊は、スクラムを組みながら、供待所付近の阻止線を形成していた立川大隊の中央部に突き当たつたため、立川大隊、神田大隊等の警察部隊はやや圧され気味であつたが、折から反対側の阻止線にあつた深川大隊が議事堂本館裏を通り転進してきたので、右深川大隊が阻止線の警察部隊の後方から急いで押し返えしたため、学生デモ隊がひるんだところ、学生デモ隊の背後で議事堂本館と旧議員面所との間に阻止線を形成していた第二、第四機動隊、本所、池上大隊等の警察部隊が一せいに実力行使を実施し、また、それに勢いを得た立川、神田大隊等の警察部隊もあい呼応して実力行使に入つたが、警察部隊が実力行使に入るや、たちまちにして学生デモ隊は隊列を崩し、散を乱して南通用門の方へ逃げ去つたこと、が認められる。

右に認定するような第一、第二次激突の実力行使の実施は、侵入した学生デモ隊の人数、規模およびその勢い等から判断して、警察官の職務執行行為として、これを違法視することは当を得ないところであつて、適法、だ当な実力行使というほかはない。しかしながら、第一次激突の際、「人なだれ」が生じて身体の自由を全く失つていた学生に対し、あるいは、逃げ場を求めて逃げまどう学生に対し、警察官のうちのある者は、警棒をふるつて、なぐる、突く等の暴行を加え、また、第二次激突の際、散を乱して門外へ逃げ去ろうとする学生に対し、警察官のうちの者は、その背後から警棒を振るつてなぐりつける等の暴行を加え、その結果、学生らの間に、多数の重軽傷者を輩出したこと、しかして、右の負傷者の救護のため、東京都消防庁の救急車多数が出動したほか、一般、民間人による救急援護活動が行われたことは、覆うべくもない明らかな事実である。右のような警察官の暴行については、検察側証人として当公判廷に出廷した各警察官がくちをそろえて「警棒は頭上に上げなかつた」、「接触はなかつた」「接触の場は見ていない」などと全面的にこれを否定する態度をもつて証言しているが、そのような警察官証人の供述の端はしにおいてすら警察官の暴行の事実が推認される。すなわち証人樋口徹也(第二十八回)の証言中には、「頭や手足に負傷していた学生を見た」「喚声を上げながら排除するとき警棒を振り上げていた警察官がいた」「十時の実力行使で警察官が押していつたとき、逃げ場がないからだと思うがデモ隊の後ろの方から悲鳴が聞えた」旨の供述、証人阿部運弥(第五十一回)の証言中には、「警棒の使用状況はよく見ていないのでわからぬ、自分の部隊は支離滅裂になつてしまつて指揮統卒ができなかつた」「他の部隊の者四・五名が警棒を振り上げていたので、第七方面本部長がおろすんだ、おろすんだと注意をしていた」旨の供述、証人田島徹夫(第十八回)の「実力行使のとき喚声を上げてやつた」「逮捕者のなかには負傷者が相当いた、女の人で床にむしろを敷いて寝かされていた者や頭に繃帯を巻いていた者も相当数いた」旨の供述、記載部分、その他枚挙にいとまがないほどであつて、明らかに警察官の暴行の事実の存在を認めることができる。また、押収中の常山貫治作成の十六ミリ写真撮影フイルム一巻(昭和三六年押第五九六号の三)から如実にこれを見ることができ、中川写真50中には、学生デモ隊と警察部隊の接触面で明らかに警棒を振り上げて打ちおろそうとしている警察官の姿が見え、さらにまた、昭和三十五年六月二十三日付東京都議会警務消防委員会速記録第八号によれば、中原警視庁総務部長の答弁として「警棒はやむを得ず武器として使用した」旨の記載により、警視庁自体が本件においては警棒を一般用具としてではなく武器として使用したことを容認した事実が窺われ、また他方において、同速記録によれば、江藤消防庁総監の答弁として「救急車四十八台が四十四回出動し、負傷者五百八十九名を救護した」ことがわかり、右江藤消防庁総監の答弁に合致する証人坂本昭の証人尋問調書によつても、本件において、学生のなかに約七百名におよぶ多数の重軽傷者が出たことが認められ、被告人北小路、同吉田、同呉渡竜らの当公判廷における各供述によれば、同被告人ら自身もいずれも警察官の暴行により、負傷を蒙るに至つた事実が認められ、すなわち、被告人吉田の場合にあつては、第一次激突の際、逃げようとして転倒したところを警察官によつて警棒で打たれたため、意識を失つたが、第二次の侵入には参加できずにそのまま帰宅したことが認められる(同被告人の証人としての証言(第百回))。その他、警察官による暴行の事実を証言した証人長尾久(第七十七回)、同河宮信郎(同回)、同乾達(第七十八回)、同佐竹昭生(同回)、同金田晋(同回)、同吉羽忠(第七十九回)、同岡野由美子(同回)、同山田正喜(同回)、同中垣行博(第八十回)、同丹治栄三(第八十六回)、同榎本暢子(第九十一回)、同福田瑞江(同回)、同富岡須磨子(同回)らの各証言については、右の証人らがことさらにうその供述をしたものとも認められず、十分にこれを信用できるから、これらの証言をもあげることができる。(以上の各証言は、被告人吉田、同裴、同呉、同常木、同篠田、同佐々木については証拠としない)

もつとも、右のような暴行を行つたと認める警察官のひとりひとりについては、これを特定するに足りるだけの資料にとぼしいが、警察官による暴行の事実は、以上の証拠によりこれを認めるのに十分である。

右の警察官らの行動は、連日連夜の警備出動の疲労、激しい投石等を行つて攻撃的行動をとつていた学生デモ隊に対する反発、およびそれまで隠忍自重していたのに一せい行動に出た勢い等が手伝い、また、さらに、部隊行動としての群衆心理も多少加わつていたものであつたであろうとしても、中立性と人権保護を心がけねばならない警察官の行動としては、厳にこれを慎しまねばならないところであつて、明らかに、その職務権限を越えた違法なものであると断ぜざるを得ない。

しかして、右に認定した警察官らの暴力は、正当防衛、緊急避難のいずれの場合にも該当しないことが明らかであるから、これらの警察官の行為に対して、仮に抵抗、反撃等の行為がなされたとしても、公務執行妨害罪が成立しないものと解するのが相当であるから、弁護人らの右主張は、右認定の範囲内に限り、その理由がある。

なお、当裁判所の見解を補足すると、本件審理の過程において、樺美智子の死亡原因についての弁護人の証拠調請求に関して、被告人および弁護人らの強い要請にもかかわらず、当裁判所は、終始消極的であつて、ときには弁護人の証拠調がその点におよぶのを制限したこともあり、被告人、弁護人から非難を受けたこともあつた。しかしながら、樺美智子の死亡の直接の原因が、警察官による暴行に基くものであるか否かは、本件審判の直接の対象とはなり得ず、従つて当裁判所は、その点にまで深く立ち入つて審理すべきではないとの見解から、右のような訴訟指揮に出たものであるので、この点に関する被告人、弁護人らの非難は正当ではない。

三、傷害罪成立の否定の主張

(一)  主張の要旨

(イ) 警察官の受傷については、直接の加害行為者を特定するに足りる証明がないとの主張

(ロ) 仮にそうでないとしても、その受傷の部位、程度に関する証拠がいずれも信用できないとの主張

について。

(二)  当裁判所の判断

前示各証拠によれば、本件犯行当時、南通用門内側の国会構内において、学生デモ隊だけに限らず、多数の警察官もまた負傷したことは明らかである。さらにまた、学生デモ隊が警察官に対し、投石、投棒、その他の暴行を加えてその公務執行行為を妨害したことについても、すでに判示認定のとおりである。そこで、右警察官の受傷の部位、程度に関してはしばらくさておくとして、その直接の加害行為者が誰であつたかについては、検察官の全立証をもつてしてもこれを明確にすることができなかつた。もつとも、被告人常木、同呉が警察官に投石を行つたことや、被告人吉田、同杉浦らが、警察官田中保、同池田誠次らに対し、暴行を加えたことについては、判示認定のとおりであり、また、被告人呉の場合、同被告人の投石により門内にいた警察官一名の右ヒザに当たり、その警察官が倒れて同僚にかかえられながら後退した点までは認められるが、(証人松原文一(第二十三回)の証言)、右被告人らの暴行により、どの警察官がどのような受傷をしたかどうかについては、いずれもこれを詳らにする証拠がない。しかして、証人田島徹夫(第十八回)の供述記載部分および前示写真等によれば、本件犯行当時、南通用門外には、被告人らを含む学生集団のほかに、全学連、反主流派、労働者、一般市民等のデモの群衆がむらがり集つていたのであるから、被告人らと犯意を共通にしないこれらの群衆集団に属するものにより、あるいはまた、被告人らと同じ集団に属したもののなかにも、被告人らと犯意を共通にしなかつたものも存在したから、これらのものにより、投石、投棒等の暴行が行われたことも推察に難くないところであつて、現に、被告人らとその犯意を共通にしなかつたことが明らかである前示背広服の「ナゾの男」の暴行の存在が認められるほどであるから、これらのいわば付和雷同者、もしくは「やじ馬」のようなものの暴行の結果についてまで、被告人らにその責任を帰することができないことはいうまでもない。しかのみならず、警察官のうちにあつても、門外に向つて、石を投げ返したものがあつたことが認められ、(被告人吉田稔の証人(第百回)としての証言)このような警察官の投石によつて、他の警察官が負傷する可能性もなくはなかつたのであるから、被告人らとその犯意を共通する者が警察官に暴行を加え、その結果、傷害を受けるに至つたものであるという証明がない本件においては、その傷害の部位程度についての判断をするまでもなく、被告人らにつき傷害罪の刑責を認めることはできない。このことは、被告人らに公務執行妨害罪の要件としての暴行について共通の認識があつたとする判示認定とは、別個な問題であつて、右の判断を左右するものではない。

なお、同日午後十時ごろ、国会正門の方へ移動しようとした学生デモ隊が阻止線を形成していた警察部隊に突き当たつた際、立川大隊第一中隊長市川和吉ら十三名が蒙つた傷害は、被告人らに共通な犯意に基く判示暴行の結果によるものであるから、たとえ証拠上、特定の加害行為者が明らかでなくとも、被告人らのなした傷害と認めるのに、何らの差しつかえがないところ、その傷害の部位、程度については、同人らに対する医師作成の診断書等により、その証明が十分であるから、判示認定のような傷害罪の成立を否定することはできない。

よつて、弁護人らの右主張は、右認定の限度においてのみ、その理由がある。

四、建造物侵入罪成立の否定の主張

(一)  主張の要旨

(イ) 国会議事堂は、本件当時、国会としての国政の審議を停止していたから、国会としての機能を全く喪失し、法益としての平穏性、安全性を欠く、従つて、刑法第百三十条の客体にはあたらないとの主張

(ロ) 被告人らは、「主権在民」の国民として、憲法秩序回復という正当な目的をもつて、国会構内に立入つたものであるから、同法条にいう故なく侵入した場合にあたらないとの主張

(ハ) 同日午後七時三十分すぎからの侵入については、警察側もこれを制止せず、社会党代議士団もこれを容認していたので、被告人ら侵入者は、違法性の認識を欠いていたし、また、その後構内で開かれた抗議集会は、小倉警視総監と社会党議員団との間で事後承諾を得ているから、適法な集会であるとの主張

について。

(二)  当裁判所の判断

(イ) 建造物とは、住居の用に供せられるもの以外の家屋をいい、その囲繞地をふくむことについては、すでに最高裁判所の判例(昭和二五年九月二七日大法廷判決)において示されたところであつて、あらためて説明を要しないところ、国会議事堂構内は、判示認定のように、諸門、外サク等によつて外部と明確に区別され、衛視、派出警察官等によつて、議員記章帯用者以外の者がみだりに出入するのを看守、取締られているのであるから、刑法第百三十条にいう建造物に該当する。しかし弁護人は、本件当時、右国会において、国政の審議を停止し、国会としての機能を全く喪失していたと主張するが、仮に弁護人主張のとおりであつたとしても、管理者である両院議長が明示的、もしくは黙示的にせよ、その管理権を放棄したと認めるに足りる特別の事情のない限り、平穏と安全を維持する必要があることは社会通念上当然であるから、本件当時、右特別の事情の認られない本件においては、国会議事堂構内は、刑法第百三十条により保護せられるべき客体としての建造物であることは、もち論であつて論議の余地がないから、弁護人らの右主張は採用できない。

(ロ) 被告人らの本件侵入行為の態様についてみるのに、多数の集団をもつて、門扉を破壊したり、警備警察官に暴行を加えたりなどして侵入するという、全く暴力以外の何物でもない手段、方法をもつてなされたのであるからたとえそれが憲法的秩序の回復という目的、動機から出たものであり、右目的、動機が正当なものとして是認されるものであつても、被告人らの右行為は、もはや正当とは認められず、刑法第百三十条にいう「故なく」侵入した場合に該当すること、当然である。

(ハ) 証人小倉謙(第九十七回)、同多賀谷真稔(第九十四回)の各証言のほか、前示各証拠を総合すれば、同日午後七時五分すぎごろ実施された実力行使により、侵入した学生デモ隊は、逮捕された者を除き殆んど全員門外に排除されたこと、実力行使後、警察部隊の各指揮官は、部下隊員を掌握するため、それぞれ、国会構内中庭で隊員に集合をかけ、人員の点呼や負傷者の点検を行つていたこと、一方、排除された学生デモ隊は、同日午後七時三十分ごろより、侵入を開始し、徐徐に、しかも続続と、警察部隊のいない南通用門から国会構内に侵入したこと、社会党議員団として加藤勘十らの代議士数名が同日午後八時前後ごろ、南通用門前に到着し、学生デモ隊と警察部隊の両方に対し、事態を悪化させないよう説得を試みたこと、そのころ、学生デモ隊は、同門の内側といわず、外側といわず、ぎつしりと集つてきていたこと、そのころ、女子学生死亡のニユースが伝わつてきたため、事態を憂慮した代議士多賀谷真稔らが警視庁に赴き、小倉警視総監に対し、(1)総監自ら現場にゆき陣頭指揮をとれ、(2)逮捕学生を即時釈放せよ、(3)不祥事件の発生を回避するため実力行使を見合わせよという三項目を申入れたこと、これに対し、同総監は、(1)現場へは新井刑事部長を派遣する、(2)逮捕学生は即時釈放はできない、(3)実力行使に関しては、学生デモ隊の違法状態はすぐ解消させるべきではあるが、平静でさえあれば実力行使をしばらく見合わせるという旨を回答したことなどが認められ、警察側が学生デモ隊の国会侵入に対し、明示、または黙示の承諾を与えたり、または、社会党議員団が同様これを容認したりした事実は認められず、ただ、学生デモ隊の違法な侵入行為に対し、学生らが平静である限り、実力行使で積極的な排除行為に出ることを暫時見合わせたというだけのことであつて、第二次侵入に対する事前事後の承諾があつた事実を認めるに足りる証拠はなく、結局、それは被告人らの単なる弁解にすぎないと認めるほかないから、弁護人らの右主張は採用できない。

五、違法性もしくは責任阻却事由存在の主張

(一)  主張の要旨

被告人らの判示各行為が外形的に成立するとしても、次のような違法性、もしくは責任阻却の各事由が存在する。

すなわち、新安保条約は、その条約の諸条項によつても一見して明らかであるように、日本国憲法の前文および武力の放棄を宣言した第九条の国際協調主義、平和主義に違反しているのみならず、国民を戦争の渦中に巻き込む危険性のある条約であるから、労働者、市民、学生等、あらゆる国民の階層、職域の団体のものが安保改定阻止の意図をもつて、安保阻止、岸内閣打倒の一大国民運動を展開したところ、そのさ中にあつて、岸内閣は、昭和三十五年六月十九・二十日、衆議院における単独採決を強行した。このような強行採決は、その前提となる安保特別委員会の採決自体が不存在、無効なものであり、また、本会議における決議が不存在、若しくは無効なものであつて、単に、形式的に多数者の名においてなされた採決であるというのにすぎないのに、岸内閣は、これを有効なものとして、憲法第六十一条の規定による自然成立をまつという態度に出たものである。このように、国会の機能は完全な麻ひ状態にあつて、前記のような違法、無効な新安保条約の承認がそのまま自然承認されるという最悪の事態に立ち至つたが、右のような岸内閣の措置は、わが憲法の精神をじゆうりんし、議会主義を崩壊させ、民主主義を危機におとし入れる暴挙として、いよいよ国民の反対と憤激をかつた。このようにひつ迫した議会主義民主主義の危機において、被告人らは、やむにやまれずして、本件六・一五事件を行つたものであるから、(1)その動機、目的の正当性および (2)目的、手段の緊急性、非代替性において違法性を阻却し、さらに、(3)正当防衛もしくは、(4)緊急避難行為 (5)正当行為として免責され、もしくは、(6)抵抗権の行使、あるいは (7)期待可能性のない場合として犯意を阻却されるほか、(8)罪とならないか、または、(9)実質的な違法性を阻却するものであるから無罪であるとの主張

について。

(二)  当裁判所の判断

(イ) 右のような弁護人らの主張は、被告人らの多くがその最終陳述において述べているように「自分らの行動は、あくまでも正しいと確信していたし、また、そのようにしなければ安保改定を阻止できないものと信じていた」「いまでもすこしも自分らの行為が間違つていたとは思わないなどとの趣旨を述べている点と共通しているものがある。そうして、これらの主張の根底にあるものは、新安保条約が違憲であるということと、五月十九・二十日の衆議院における強行採決への非難の二点に帰着し、右の二点から、正当行為、正当防衛、抵抗権の行使等、種種多岐にわたる主張が展開されているのであるから、当裁判所は、まず、右の二点についての検討から順次進めてゆくこととする。

(ロ) 新安保条約がその危険性において憲法に違反するかどうかについては、すでに最高裁判所昭和三四年(あ)第七一〇号同年一二月一六日大法廷判決(最高裁判所判例集第一三巻第一三号)があることに注目しなければならない。右の判決は、いわゆる砂川事件の判決であつて、旧安保条約に関するものであるが、

(1) 憲法第九条は、わが国が主権国として有する固有の自衛権を何ら否定してはいないこと。

(2) わが国が自国の平和と安全を維持し、その存立を全うするために必要な自衛のための措置を執り得ることは、国家固有の権能の行使であつて、憲法は何らこれを禁止するものではないこと。

(3) 憲法は、右自衛のための措置を国際連合の機関である安全保障理事会等の執る軍事措置等に限定していないのであつて、わが国の平和と安全を維持するためにふさわしい方式または手段である限り、国際情勢の実情に則し、適当と認められる以上、他国に安全保障を求めることを何ら禁ずるものではないこと。

(4) わが国が主体となつてこれに指揮権、管理権を行使し得ない外国軍隊は、たとえそれがわが国に駐留するとしても、憲法第九条第二項の「戦力」には該当しないこと。

(5) 安保条約の如き、主権国としてのわが国の存立の基礎に重大な関係を持つ高度の政治性を有するものが、違憲であるか否かの法的判断は、純司法的機能を使命とする司法裁判所の審査には、原則としてなじまない性質のものであり、それが一見きわめて明白に違憲無効であると認められない限りは、裁判所の司法審査権の範囲外にあると解するを相当とすること。

(6) 安保条約が違憲であるか否かが、本件のように(行政協定に伴う刑事特別法第二条が違憲であるか否かの)前提問題となつている場合においても、これに対する司法裁判所の審査権は前項と同様である。

(7) 安保条約は、憲法第九条、第九十八条第二項および前文の趣旨に反して違憲無効であることが一見極めて明白であるとは認められないこと。

を判示した。

ところで、特定の事件についてなされた最高裁判所の判断が、その事件を離れて一般的に下級審裁判所を拘束すると解すべき法律上の根拠はないが、現行裁判制度が最高裁判所を頂点とする審級制度を採用していることおよび刑事訴訟法第四百五条第二号、第四百十条第一項の規定の存することに鑑み、かつまた、法的安定性の確保と訴訟経済の見地から、当該問題について最高裁判所の判断が示された以上、下級審裁判所にあつては、これと異る判断をしなければならない特段の事情が生じない限り、最高裁判所の判断は、これを尊重しなければならない。

このような立場から新安保条約が違憲であるか否かについての判断は、右の最高裁判所の判断が旧安保条約についてなされたものであるとはいえ、その判断中において示されているところに従つて理解せられるべきである。とりわけ、判示第五、第六項において、安保条約のように、高度の政治性を有するものについて違憲か合憲であるかの判断は、司法裁判所の審査にはなじまないとする点については、新安保条約についてもそのままだ当することがらであり、当裁判所も右最高裁判所の判断と全くその見解を一にし、新安保条約のような高度の政治性を有する条約については、当裁判所の審判の範囲外にあるものと考える。もつとも、憲法第九条の解釈をめぐつて、同条は、自衛のための戦力、交戦権までも否認しているのか否かについては、憲法学者、有識者間にいて、いまなお論議の中心となつているところであるから、右最高裁判所の判旨をもつて、ただちに問題が解決したとも思えぬし、徴兵等の危険を直接はだをもつて感じている若い世代の人びとや、自衛隊の存在を国民に対する暴圧手段とみる政治思想の立場に立つ人びとなどからは、素直に受け入れられるとも思われないが、当裁判所は、右最高裁判所の判断が、憲法第九条の解釈について、すくなくとも公権的な最終判断を示すものとして、尊重しなければならないことは、前に述べたとおりである。

さらに進んで、新安保条約は、国際連合憲章の目的および原則に対する信念ならびに平和のうちに生きようとする願望のもとで、極東における国際の平和と安全とを維持する目的をもつて締結され(新安保条約前文参照)、わが国の安全と極東における国際の平和および安全に寄与するため、アメリカ合衆国軍隊のわが国における施設、区域の使用を許諾し(同第六条)たものであるから、右条約が憲法第九条、憲法前文に違反し、無効であることが一見してきわめて明白であるとは到底認められない。

(ロ) 次に、昭和三十五年五月十九・二十日の衆議院における単独採決が違法無効であるか否かについて検討すると、右のような政府与党によつて新安保条約の単独採決の強行されたことは明らかであるが、さて、右の単独採決が違法無効なものであるか、あるいは決議不存在と断定できるかどうかについて、当裁判所が判断することができるか否かとなると、これを消極に解せざるを得ない。

思うに、司法裁判所の法令審査権は、すべての法令の形式的審査権にまでおよぶことについては、あらためて異論の余地がないが、国会両院における議事手続に関する適否にまでおよばず、それは、国会の自主自律に委ねるべきであることは、わが国の憲法が三権分立の構造を採用している法理上当然のことである(最高裁判所昭和三七年三月七日大法廷判決第一六巻第三号参照)。従つて、定足数の出席があつたかどうか、会期延長が適法になされたかどうか、議決の方法が適法であつたかどうかについては、国会の各議院の自主自律性に委ね、各議院自らが決定すべきことである。しかして、国会各議院の判断の誤りも、自らの政治的責任によつて是正されるべきで、司法機関である裁判所がみだりに関与すべきでないと解するのが相当であるから、昭和三十五年五月十九・二十日の衆議院における単独採決が違法か否か等についての判断は、当裁判所の権限外の事項であるといわざるを得ない。

(ハ) 以上述べたところは、新安保条約の憲法的な実質的効力および国会の議決に関する司法権の限界について、当裁判所の基本的な見解を表明することによつて、弁護人らの主張の根本的な問題に一応の解答を与えたものであるが、しかし、当裁判所が右の見解に立つものであつても、新安保条約がわが国の社会的、政治的、経済的な諸動向、ことにわが国の安全性に深くかかわりある重要な条約であることや、新安保条約の審議をめぐり、国会における五月十九・二十日の単独採決の強行が国民のなかから激しい非難を受けたことや、安保改定阻止運動が右の強行採決を契機として一層の激しさを加え、「安保改定阻止」「国会即時解散」「岸内閣退陣」を求める抗議行動が日夜、国会周辺等でくり開げられていたことなどは、判示冒頭において認定したとおり、これを認めるのにすこしもやぶさかではない。しかして、国民が法令の改廃、条約の批准、もしくは政府政党の施策、政治的動向に関して、自己の政治的思想、信念に従つて政治活動を行うことは、民主主義と思想表現の自由を保障したわが憲法のもとでは、当然の権利であつて、どのような政治的思想、信念の持ち主であつても、その政治的思想、信念のゆえに裁かれたり、刑罰を受けたりしないことはもち論である。しかしながらいかなる正当な政治的思想や信念であつても、その発現された手段、方法が、行為として法律秩序に触れ、法律秩序を破壊するときは、その責任を追及され、法律に従つて処断されるべきことも、またいうをまたないところである。前記のような政治的活動も民主主義を基調とするわが憲法のもとでは、自由であるその反面、平和的、民主的になされることを要求されるのであつて、いやしくもその法律秩序を破壊するような非民主的暴力的な手段、方法は、一切許されないところである。

本件において、被告人らの行為は、南通用門前を埋め尽くすほど多数集つていた学生集団の威力をもちい、集団の圧力をもつて、補強工作や車両阻止線を形成するなどして、固く門扉を閉ざしていた南通用門を破壊し、阻止車両を引き出し、警備警察官に暴行を加え、公共の建物とはいえ、みだりに入ることの許されない国会構内に多数集団で侵入したうえ、気勢を上げたり、抗議集会を開いたりなどして、国会構内およびその周辺の秩序をはなはだしく乱したものであり、被告人らの判示行為は、直接的、積極的、かつ闘争的な、破壊力ある集団暴行以外の何物でもないことが明らかであつて、これを平和的、民主的な政治行動としての抗議行動などとは、到底いうことを得ないものである。なお、本件犯行の際、警察官による実力行使が行われ、学生、警察官の両方に多数の負傷者を出したことおよびこれに対する当裁判所の法律的見解については、前に示したとおりであるからあらためて言及しないが、多数集団による暴力と暴力との衝突ともいえる。右不祥事件を発生せしめるに至らせた経過としての、判示一連の被告人らの行動は、被告人らが警察官に闘争的な抵抗を示すことによつて、被告人らの政治的権力機構への反抗ないしは抗議意思を表明し、自己の主張の正当性と強固さを表明する主観的意図のもとになされ、あるいは、国会構内にむりやり侵入し、そこで抗議集会を開くことによつて、新安保改定の阻止強行採決の抗議意思を表明しようとする主観的意図のもとになされたものであつても、被告人らがその終局の目的を達成する手段、方法としては、まことに過激な行動であり、法律秩序無視もはなはだしい行動であるから、被告人らの意図する目的を達成するうえに必要不可欠な、もしくは緊急やむを得ない手段方法とは到底認め難いところである。

(ニ) 以上に述べたところを前提として、弁護人らの各主張につき、さらに進んで検討すると、

(1) 目的、動機の正当性

の主張については、それが犯罪の情状となることがあつても、必ずしも犯罪の成立を否定しないことについては、右に説示したとおりである。

(2) 目的、手段の緊急性、非代替性

の主張については、被告人らの行為が真にやむことを得ずしてなされた行為であるとは、到底認められないことは、前に説示したとおりであるから、これを採用できず、

(3) 正当防衛

(4) 緊急避難

(5) 正当行為

の各主張については、被告人らの判示行為は、防衛行為、避難行為のいずれにも該当しないことが明白であるのみならず、前にるる説示したとおり、正当行為にも該当しないことが明らかであるから、弁護人らの右主張は採用できず、

(6) 抵抗権の行使

の主張については、仮に抵抗権の観念を容認する立場をとるとしても、本件においては、判示認定のような被告人らの行動が抵抗権の行使に相当するものとは認められないから、右主張は採用できず、

(7) 期待不可能性

の主張については、本件行為に至るまでの経過、行為の態様および本件当時の社会状況等を観察すれば、本件各行為に出ることが真にやむを得ないもの、または、本件以外の行為に出ることを期待し得なかつたものとは到底認められないから、右主張も採用できず、

(8) 罪にならない

(9) 実質的違法阻却事由

の各主張については、右に説示した理由により、いずれも採用するに由ないものである。

六  公訴棄却の主張

(一)  主張の要旨

本件六・一五事件においては、警察官らの暴行が行われたことは、明らかな事実であるのに、右の警察官らを不起訴にして、被告人らだけを起訴した検察官の本件起訴は、偏ぱな起訴であつて、憲法第三十一条に違反し、公訴手続を無効ならしめるから、刑事訴訟法第三百三十八条第四号により、公訴を棄却せられるべきであるとの主張について。

(二)  当裁判所の判断

検察官は、公益の代表者として公訴権を行使すべきであること(検察庁法第四条参照)および憲法第三十一条に定める適正な手続でこれを行うべきことについては異論がない。しかしながら、被告人らに対する本件起訴は、刑事訴訟法の定めるところにより適法な手続をふんでなされたものであり、かつ、被告人らに対する本件審理を遂げた結果によれば、被告人らに対する本件公訴が特に違法不当なものと認めるに足りる資料はなく、刑事訴訟法第三百三十八条第四号に該当するものとは到底考えられないから、右主張は採用できない。

もつとも、弁護人の主張自体は、暴行を行つた警察官らに対する不起訴処分が不当であり、右の不当な不起訴処分が偏ぱな起訴としての被告人らの本件公訴の手続自体を無効とするというにあるようであるから、さらに進んで検討すると、弁護人主張のように、仮に、検察官に本件における暴行警察官を不起訴にした事実があつたとしても、検察官の不起訴処分に対しては、検察審査会により、公訴権の適正な実行を期することができる(検察審査会法参照)ほか、警察官など公務員の職権らん用罪等の被疑事件につき、検察官のなした不起訴処分に不服ある者は、刑事訴訟法第二百六十二条以下の準起訴手続により、その救済を求めることができるのであつて、検察官の起訴便宜主義は、これらの制度によつて、その機能が制ちゆうを受け、その適正な実行が担保されているのであるから、検察官が警察官らを不起訴処分にしたからという理由だけで、本件起訴の手続がただちに憲法第三十一条に違反し、無効となるものとは認められず、結局、右主張は採用できない。

第六法令の適用

一  被告人北小路、同西部、同宮脇、同立川、同大瀬、同小倉、同加藤(昇)、同裴、同常木、同篠田らの判示所為中、暴力行為等処罰に関する法律違反の点は、各刑法第六十条、暴力行為等処罰に関する法律第一条、刑法第二百六十一条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、建造物侵入の点は、包括して各刑法第六十条、第百三十条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、公務執行妨害の点は、包括して各刑法第六十条、第九十五条第一項、傷害の点は、各刑法第六十条、第二百四条、罰金等臨時措置法第二条、第三条にそれぞれ該当するが、被告人西部、同宮脇、同立川、同加藤(昇)には前示確定裁判があり、この罪と判示各罪とは、刑法第四十五条後段の併合罪であるから、各刑法第五十条に則り、いずれもいまだ裁判を経ない判示各罪につき、さらに処断するところ、暴力行為等処罰に関する法律違反と建造物侵入、公務執行妨害と傷害とはいずれも、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、各同法第五十四条第一項前段、第十条により、前者については、重いと認める暴力行為等処罰に関する法律違反の罪の刑に、後者については、重い傷害罪の刑にそれぞれ従い、所定刑中、いずれも懲役刑を選択し、以上は、同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により、重い田中正剛に対する傷害罪の刑に同法第四十七条但書の限度で法定の加重をした各刑期範囲内において、後記情状を勘案して、主文第一項掲記のごとくそれぞれ刑を量定することとする。

二、被告人加藤(尚)、同高橋、同有賀、同杉浦、同坂野、同遠藤、同小川内、同藤本、同広川、同宮崎、同吉田、同呉、同佐々木らの判示所為中、暴力行為等処罰に関する法律違反の点は、各刑法第六十条、暴力行為等処罰に関する法律第一条、刑法第二百六十一条、罰金等臨時措置法第二条、第三条、建造物侵入の点は、各刑法第六十条、第百三十条、罰金等臨時措置法第二条第三条、公務執行妨害の点は、包括して各刑法第六十条、第九十五条第一項にそれぞれ該当するが、被告人遠藤、同呉には前示確定裁判があり、この罪と判示各罪とは、刑法第四十五条後段の併合罪であるから、各刑法第五十条に則り、いずれもいまだ裁判を経ない判示各罪につき、さらに処断するところ、暴力行為等処罰に関する法律違反と建造物侵入とは、一個の行為で数個の罪名に触れる場合であるから、同法第五十四条第一項前段、第十条により、重いと認める暴力行為等処罰に関する法律違反の罪の刑に従い、所定刑中、いずれも懲役刑を選択し、以上は同法第四十五条前段の併合罪であるから、同法第四十七条本文、第十条により、重いと認める公務執行妨害罪の刑に法定の加重をした各刑期範囲内において、後記情状を勘案して、主文第一項掲記のごとく、それぞれ刑を量定することとする。

しかして、諸般の情状刑の執行を猶予するのを相当と認め、被告人ら全員に対し、刑法第二十五条第一項を各適用するが、各被告人の情状ならびに前科の有無等の事情を考慮のうえ、この裁判確定の日から、被告人北小路、同西部、同宮脇、同立川、同遠藤、同加藤(昇)、同呉に対しては各三年間、その余の被告人らに対しては各二年間、右各刑の執行をいずれも猶予し、訴訟費用は、刑事訴訟法第百八十一条第一項但書に則り、被告人ら全員に負担を命じないこととする。

なお

(一)  被告人らに対する検察官の各起訴状記載の公訴事実ならびに昭和三十六年一月二十七日付訴因補正申立書によれば、公務執行妨害ならびに傷害の訴因の要旨は、

(1) 被告人加藤(尚)、同高橋、同有賀、同杉浦、同坂野、同遠藤、同小川内、同藤本、同広川、同宮崎、同吉田、同呉、同佐々木ら十三名は「昭和三十五年六月十五日午後五時三十五分ごろから同日午後七時三十分ごろまでの間、警視庁第五方面本部長伊藤秀宏および第七方面本部長岡村端指揮下の滝野川大隊、警察学校第三中隊、第四機動隊、第二機動隊、立川大隊、本所大隊所属の約千百三十五名の警察官に対し、暴行を加えてその職務の執行を妨害し(公務執行妨害)、警視庁巡査小林定徳ら二百二名に対し、訴因補正申立書別表その一、受傷者一覧表記載のとおり、傷害を与えた(傷害)」

(2) 被告人北小路、同西部、同宮脇、同立川、同大瀬、同小倉、同加藤(昇)、同裴、同常木、同篠田ら十名は「同日午後五時三十五分ごろから午後十時三十分ごろまでの間、右伊藤秀宏および岡村端指揮下の滝野川大隊、警察学校第三中隊、第四機動隊、第二機動隊、立川大隊、本所大隊、神田大隊、久松大隊、玉川大隊、三田大隊所属の約千七百六十二名の警察官に対し、暴行を加えてその職務の執行を妨害し(公務執行妨害)、右小林定徳ら三百十名に対し右同表その一、その二受傷者一覧表記載のとおり、傷害を与えた(傷害)」

というのであるところ、判示認定の公務執行妨害、および傷害以外の訴因については、これを認めるに足りる証明がないが、右は、いずれも判示認定の公務執行妨害、傷害の各事実と観念的競合の関係にあるものとして起訴されたものと認められるから、この点につき、主文中においてとくに無罪の言渡しをしない。

第七情状

一  情状一般について

(一)  六・一五事件の特質からみた情状

本件犯行についての法律上の評価は、すでに判示したとおりであるが、これらの犯行をふくめ、全体としての本件六・一五事件をどのようなものとして受取るかについては、政治上、思想上の立場の相違、職業、地域、階層あるいは年令、世代の違いからでさえ、一様ではなく、結論を異にするであろうと思われる。それで当裁判所としても、六・一五事件全般に対する社会的、政治的な見解を示すことは、差し控えるべきであるが、ただ、本件審理中において、被告人らは、窃盗などの一般刑事事件と同じように、暴力行為等処罰に関する法律違反等の罪名で裁かれることについての不満を述べており、このような不満は、ある意味において、六・一五事件が一般刑事事件のように、突如として発生したものでは決してないから、これをあらゆる社会上、政治上の諸事情、あるいは歴史の流れから切り離し、単なる一事件として評価されるべきではないということもふくんでいると解される。しかして、六・一五事件は、全学連がそれまでに行動してきた安保改定阻止行動を集約し、その頂点に立つものとして行われたものであること、五月十九、二十日の国会における強行採決は、民主主義を危険におとし入れる暴挙であるとの強い非難、およびこれに随伴する絶望的な危機感によつて行われたものであること、当時の社会上、政治上の諸情勢は、緊迫と混乱、混迷と空白の状況であつて、帰一するところを知らなかつたということ等、これらの事情は、まさにそのとおりに違いがなかつたから、右の諸事情についての認識、評価なしには、六・一五事件の正当な判断をすることはできないし、仮にこれをしても、結局は、皮相のそしりをまぬがれることはできないであろうという点において、被告人らの右の不満は正当である。しかしながら、右の諸事情についてはしばしば触れてきたので、ここで検討を加えることを省略し、六・一五事件の特質から観察して、その情状を検討すると、本件の特質としてまぎれもない確かなことは、第一に、判示認定のような暴力が行われたということである。これをさらに言及すると、まず、被告人らは、五月十九、二十日の強行採決は、政府与党の多数の名で行われた暴挙であつて、民主主義の原理に違反することが明白であると、これに強い非難を浴びせているが、ひるがえって、被告人ら自体、数千ないしは万余にもおよぶ多数集団の勢いと力とを頼みに、強烈で大規模な暴力を強行し、民主主義の原理に背を向けたということである。このことは、被告人らないしは全学連の理論と実際に矛盾撞着があつたことを明らかに示すものとして、強く非難されねばならない。次に、この暴力は、国会乱入という形態で国会議事堂に向けられたということである。被告人らの意図したところのものが、たとえ国会構内での抗議行動という単純な範囲内にとどまるものであつたとしても、わが国の立法府である国会議事堂を指向して、かくも強烈、かくも大規模なデモ形式による暴力が行われたことは、わが国の歴史上末だかつてなかつたところであつて、このような暴力は、安保改定阻止行動として、一般市民、労働者、または文化人などが行つてきた、国民会議統一行動の「請願デモ」とも全然異質のものであり、全学連および被告人ら独自の行動であつたということである。この意味において、被告人らのこのような暴力は、国民運動、大衆運動として、一般から是認されたものではないから、全学連自体が指弾究明される所以でもある。このような行動が、全学連の行つた一連の安保改定阻止行動と共通性を持つ暴力として発現されたものであるならば、その限りにおいても、反社会性、反規範性の強いものとして、非難されるべきである。第二の特質は、本件事件において、前途洋洋たる女子学生一名が失われたほか、数百名にもおよぶ学生が負傷し、流血でいろどられ、社会に大きな不安と衝動を与えたということである。被告人らは、当公判廷において、六・一五事件を闘つてきたことについては、すこしも後悔していないし、いまでも正しかつたと思つている趣旨を述べ、確固たる信念を堅持しているような態度を示しているが自分らの行動によりひき起した諸結果に深く思いをいたし、十分なる反省をすべきである。

しかしながら一方において、被告人らが新安保条約を違憲とする気持や、安保改定阻止行動を続けてきた心情などについては、当裁判所といえども必ずしも理解できないところでなく、また、五月十九、二十日の強行採決に対し、激しい憤りと危機感を抱いたことについては、当裁判所も、あながちこれを不当と見る訳ではない。従つて、被告人らの安保阻止の決意が強ければ強いほど、また、強行採決に対する憤りと危機感とが激しければ激しいほど、それだけなお強く、激しく、抗議行動に出たことも推認される。しかのみならず、被告人らは、自己の私利私欲から行動したものではなく、ただひたすらに、わが国の前途を憂うる真情から出たものであることは被告人らのため、十分に汲み取らねばならない有利な事情である。

(二)  警察部隊の実力行使からみた情状

以上のような情状の見方については、本件においては、被告人ら学生デモ隊だけが暴力をふるつたのではなく、警察官も実力行使の際、暴力をふるい、その結果、女子学生が死亡したほか、多数の学生が負傷したのであるから、警察側こそ非難されるべきであるとの被告人ら、弁護人らの前記主張もあるので、警察部隊の実力行使、およびその直後に行われた警察官の暴行を中心として、本件についての情状を調べると、すでに示したように、警察部隊の実施した実力行使自体は、本件のような場合に、警察側として執られるべき当然の措置であり、また、警察部隊の各指揮官が部下警察官に対し、ことさらに暴行を命令し、もしくは暴行に出ることを認容したり、称揚したりしたものとみることはできない。ただ、判示認定したような暴行を行つた警察官は、実力行使にあたり、ないしはその直後において、指揮官の命令およびその職務権限の範囲を逸脱して、学生らに対し、暴力をふるったと認められ、右の行為が、警察官に要請される中立性と基本的人権の擁護という重大な使命からほど遠いものとして、非難に値することについては、これも判決理由中で判示した点であつて、まことに遺憾というほかはない。そこで、本件が安保阻止運動における他の諸事件と異なつて、警察官による暴行が激しく行われ、かつ、多数の重軽傷者を出すに至つた事情について調べると、第一には、被告人らの行動がきわめて激しく、数千人にもおよぶ大集団によつて行われたため、その強度と規模に比例して警察官の暴行の手段、態様もまた激しく、大規模であつた点を指摘することができる。すなわち、被告人ら学生デモ隊は、警察側の警告放送や放水による制止を多数集団の威力で無視したうえ、集団で投石、投棒、突く、なぐる等の暴行を警察部隊に加え、スクラムを組みながら構内へ侵入し、その勢いの激しかつたことは、供待所裏側、旧議員面会所裏側にいた警察部隊をして、やむなく前面から後退させたほどであつた。また第二次激突の際は、約三千名の集団でスクラムを組み、警察部隊立川大隊の中央部に突き当たり、その強大な圧力のため、警察部隊が押されて供待所の壁に押しつけられるという有様であつた。他方、警察部隊は、このように強烈で、大規模な、学生デモ隊の攻撃的、戦闘的行動に対して、警告放送、放水等の以外には、終始、消極的、受動的態度を持し、第二次侵入後、構内で開かれた警察官に対する憎悪と非難に満ちた抗議集会も、静観的態度で処したが、いつたん実力行使の命令が下されると、かえつて学生デモ隊の行動の激しさと人数の優勢さに反発し、部隊行動としての行動範囲を越え、越規行動に出た警察官が多かつたため、負傷者の数と程度を大きくしたものであるから、被告人ら学生デモ隊の挑発行動そのものも大いに関係するといえる。さらに第二の事情として付加して述べるならば警察部隊の各指揮官における状況判断のわるさと統卒能力のひくさにこれを求めることができる。すなわち、第一次激突の場合における実力行使は、警察の輸送車等数台が不規則に並び、学生らの退路を遮断し、あい路ともなっていたせまい個所へ、一気にデモ隊を押しやる方法が選ばれたが、そのため「人なだれ」が起きる条件を強め、負傷者をより多く輩出させる遠因ともなつたことであつて、樺美智子が右輸送車のすぐ下で死んでいたことも明らかである。また、デモ隊が門扉破壊に着手する以前に、門外でデモ隊を解散、排除するとか、阻止車両除去前に、門外に出て強力な制止、排除を行うとか等の手段方法については、何ら顧みられたあとが認められず、この点は当裁判所も理解に苦しむところである。さらにまた、学生デモ隊の第二次侵入の際には、第一次の実力行使により、せつかくデモ隊の殆んど全員を門外に排除しながら、ただちに南通用門付近の警備を放置し、隊員の点呼集合と称して構内中庭へ引き上げてしまつたため、デモ隊をして、再度やすやすと国会構内へ侵入させたことなどを指摘できる。次に、実力行使全般に通じていえることは、各指揮官が部下隊員の掌握を確実にしてさえおれば、部隊行動より逸脱して個人行動に出たり、暴力を行つたりなどしないように、部下隊員の行動を監視、予防できたであろう点が指摘できるが、本件においては、まつたく指揮系統が支離滅裂で、部下隊員の掌握は、きわめて不確実であつた。

しかして右の警察部隊の実力行使に際しては、学生デモ隊が全然無抵抗でいたというのでなく、学生のうちには、あいかわらず投石、投棒や旗ザオ等で警察官を突く、なぐる等の暴行を続けながら、実力行使に抵抗していたものが多かつた、ということも明らかであり、右の状況は、集団による暴力と暴力の激突という表現が当てはまる状態であつた。このことは、警察側にも六・一五事件全般を通じて、すくなくない数の負傷した警察官が出た事実によつても、うなずかれるであろう。

右に述べた事情は、被告人らが本件六・一五事件の行動を起すにあたり、必ずしも全部が全部、これを予測することができなかつたとしても、警察部隊が多数、南通用門を警備していたこと、ならびに阻止車両線が設置されていたこと、などを被告人らは、目前にありありと見て、十分これを認識していたはずであるから、学生デモ隊が警察部隊の実力行使等の抵抗に遭遇するであろうことは、当然に予測していたはずである。従つて、警察官の暴行だけをうんぬんして、自己の行為の責任を免れようとするのは、正当でない。流血という未ぞう有の不祥事件をじやつ起したことについては、警察側同様、被告人ら側にも一半の責めがあるというべきであつて、この点は、被告人らの情状を重からしめる所以である。

(三)  その他の情状

本件は、わが国朝野の耳目を衝動させて、けんけんごうごうの世論を巻き起すと同時に、人心に多大の不安感を与えたものであつて、その影響の深刻、重大なことについては、いまさら多言を要しない。しかも、本件犯行が数千名の多数者を包含した集団犯罪でもあるから、その主唱者、または指導者、もしくはそれと同視されるべき者の刑事責任は、いうまでもなく重大である。しかしながら一方において、弁護人らも指摘するように、被告人らと同じ犯罪集団に属し、被告人中のある者らと同程度、ないしはそれ以上に重要な役割を演じた者、または「やじ馬」のような者であつても、犯罪と認めるに十分な、顕著な違法行為を行つた前示「ナゾの男」のような者、もしくは被告人らとあい反する側に立ち、顕著な暴力をふるつた警察官等、これらの者が存在したことは、明らかであるところ、その処分がいずれも等閑に付せられ、その責任の追及からまぬがれているものと推認されるが、それにもかかわらず、ひとり、被告人らだけに対しきびしい態度で臨むことは、必ずしも適当でない。その他、被告人らの大多数は、本件当時、学業にいそしむ前途有為の学生であつたこと、青年に有り勝ちな直情径行的傾向も多分に手伝つて、本件犯行を犯すに至つたものと認められること、本件起訴後、約四年半、百十余回にもおよぶ長期の公判審理が開かれた間、被告人らは、学業、就職その他に関し、物心両面ともに決して軽くはない負担や、取扱上の不利益を受けたであろうと推測されることおよび本件発生当時の社会情勢も今日では著しく変つていることなど、以上はすべて被告人らのため有利にしん酌すべき事情である。

二、被告人別の情状について

被告人らの個別的な情状は、判示認定した被告人らの個個の行動から、(1)本件事件に対する指導力、影響力、(2)実行行為中における顕著な行動の有無、(3)本件事件に対する反省の有無、およびその強弱の程度等から検討されるべきであり、また概括的に、第一次激突のときに逮捕されるか負傷したため、その後の行動に参加しなかつた者は、軽く取り扱われるべきであることも当然である。

被告人北小路、同西部、同加藤(昇)は、本件事件の最高の指導者として本件に対して与えた指導力、影響力および行動力はもつとも大きく、顕著であり、とりわけ、被告人北小路は、全学連の事実上の委員長代理として、総指揮者の地位にあつたものであつたから、その刑責は、被告人ら中もつとも重大である。被告人加藤(尚)、同宮脇、同立川、同有賀、同小倉、同遠藤、同裴、同杉浦、同吉田、同藤本、同宮崎、同広川、同篠田は、全学連さん下単位自治会等の指導者、もしくはそれに準ずる者として、被告人北小路、同西部、同加藤(昇)についでその情状の重いものであるが、そのうちでも比較的重いと認められるのは、被告人加藤(尚)、同宮脇、同小倉、同遠藤、同篠田であり、比較的軽いと認められるのは、被告人有賀、同藤本、同宮崎、同広川をあげられる。被告人小川内、同坂野、同呉は、本件実行行為中とくに顕著な行動を演じたものであるから、その刑事責任は、被告人加藤(昇)同西部らに次いで重い者と認められ、被告人大瀬、同常木、同高橋、同佐々木は本件事件の同調者、もしくはせん動者のような地位にあつた者と認められ、被告人らのうちで、当公判廷における被告人らの供述およびその態度から観察して、とくに反省の色が濃いと認められるのは、被告人杉浦、同広川、同吉田の三名である。

右のように検討した諸事情に本件記録に顕れた一切の事情を考慮したうえ、被告人らに対し、それぞれ主文のような刑を量定したが、前記情状を検討の結果、被告人らに対しては、いずれも刑の執行を猶予することとした。

よつて主文のとおり判決する。

(裁判官 山田鷹之助 綿引紳郎 加藤広国)

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